ラジオ『バナナマンのバナナムーンGOLD』『おぎやはぎのメガネびいき』、テレビ『ゴッドタン』『週刊さんまとマツコ』、ドラマ『ドラゴン桜2』『乃木坂毎月劇場』……。メディアを問わず、数々の人気番組・作品を担当し、引く手あまたの活躍を見せる放送作家オークラ氏。そんな同氏が若手の頃、あまりの才能に驚愕した芸人とは。
オークラ氏の自伝エッセイ『自意識とコメディの日々』(太田出版)の一部を抜粋し、現在の活動につながる思い出の日々を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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システム巧者、バカリズム
1995年の3月に結成した細雪(編集部注:筆者が結成していたお笑いコンビ)は結成してすぐにいくつかのライブで優勝し、見に来ていたフジテレビの若手ディレクターに「君たち面白いから一緒に飲み行こう」と誘われた。小さい世界での出来事だが、これまで顔見知りの客5人のぬるま湯につかっていた人間からすれば大事件である。
とにかくネタ作りが楽しかった。毎度システムを生み出すのは苦労するが、お笑い自意識は満たされまくっていた。自分が毎回新しいシステムを生み出しているのに対して、周囲の芸人はその方法論に気づいてすらいない。
浮かれまくっていた5月のある日。細雪は新宿Fu-という定員100人くらいのライブハウスで『マセキ芸能社ライブ』というお笑いライブにゲスト出演することになった。これはウッチャンナンチャンが所属するマセキ芸能社が主催するライブで、所属する若手芸人とゲストがネタをやるのだが、その途中でウッチャンナンチャンが卒業した日本映画学校のお笑い志望の生徒たちがネタをするコーナーもあった。
「学生のネタかよ」
ゲスト芸人でもあり、お笑い自意識満たされまくりの自分は完全にバカにしながらそのコーナーを見ていた(僕も大学生だったのだが)。
そこに背のあまり高くない、かわいらしい風貌をしたコンビが登場した。
コンビの名前はバカリズム(当時はコンビ名)。
完全になめ切っていた。が、ネタをはじめて数秒後。
「!」
驚いた。自分以外にもいる! 気づいている人がいる! いや、気づいてるどころじゃない! 細雪のシステムコントより美しい!
その時やっていたネタが「恥ずかしい行為を競い合う世界大会で優勝した男のインタビュー」というもので、優勝した選手とインタビュアーが大会を振り返っているだけなのだが、具体的な競技内容も見せず、断片的な情報で大会内容を想像して楽しむというコントだった。