演出家の僕が演者の僕に見切りをつけた理由
ライバルは互いを高め合う。
バカリズムがこっちをどう思ったかはさておき、僕は勝手にバカリズムをライバルに認定した。もっと面白いコントを作りたい! 僕は1人燃え上がった。
「バカリズムがシステムコントを極めていくのなら、こっちはシチュエーションコントだ!」
シチュエーションコントというと、テレビなどで見る舞台や登場人物が固定されたシットコムを連想するかもしれないが、正確な定義はさておき、僕の中では「とある状況(シチュエーション)の中で笑える人間模様(ドラマ)を描くコント」と定義づけている。明確なボケツッコミで笑わせるコントや仕組みの面白さで笑わせるシステムコントでもない、さりげない日常会話なのだが、置かれている状況、考え方のズレ、機微などで笑わせていく演劇的コントだ。実際はそんな単純ではなく、色々な要素が交じり合っているのだが当時、シティボーイズやビシバシステムやイッセー尾形といった演劇畑に近い芸人たちがそういったコントをやっていた。
僕は細雪でシステムコントだけではなく、シチュエーションコントも作りはじめた。しかし、この計画はすぐに頓挫する。僕には自分の理想のシチュエーションコントを演じられる能力がなかった。
芸人とはネタを作るだけではない。ネタを作りそれを演じていかなければならない。クリエイティブな能力に加え、パフォーマンス能力も必要なのだ。自分の場合、このパフォーマンス能力が決定的に欠けていた。とにかく芝居が下手だった。なのでシチュエーションコントに必要な「微妙な機微」を演じることができなかった。
「内心ムカついているのに、それを堪えながら笑う芝居」とか、「絶対に笑っていけない場所で、笑いを堪えながら神妙な顔をする芝居」とか、「好きだった異性が自分に気のないことを知ってショックを受けるも取り繕う芝居」とか、「年下がたまにタメ口をきいてくるのだが、小さいヤツと思われたくないので、平静を装うも、たまにムカつきが表に出てしまう芝居」とか、とにかくできなかった。
こうして演出家の僕は演者の僕に見切りをつけた。
結局、細雪のネタは芝居要素の少ないシステムコントが増えていき、芝居をする場合も単純な喜怒哀楽だけしかやらなくなっていった。