だから、途端に体は鉛のように重くなる。スベるくらいなら、喋らない方がマシだ。そんな最低な思考に陥ったことが、僕にはある。
大人数の豪華ゲストを前に、自分が出るチャンスは1度か多くて2度。そこで及第点を取れれば良しとする、意識の低い芸人が僕だったのだ。
「いや、でもそれって」
台本にない、流れに逆らう一言が頭に浮かんでも、口から発するまでに恐怖と理性が喉を締め付けてしまう。
家に帰ってから、あの時あの一言がもしも言えたらウケてただろうなぁ。なんて不味い酒を飲む日々。
無駄なこと、余計なことから生まれる躍動感
ところがコロナで状況は変わった。
喋るか喋らないか分からないようなゲストはいなくなり、あのダウンタウンさんと、それぞれの出演者が対等に話すチャンスが得られるようになった。
もちろん喋るからには意味が必要だし、着地点・オチが必須ではあるが、今までのような物理的な密状態、群雄割拠時と比べればきっと気が楽に違いない。
先ほど書いた、羨ましいと思った『ダウンタウンDX』とは、千鳥さんとEXITが出ていた回だ。
ゲストの数が減り、以前のような秒刻みではない進行なので、そこには隙が生まれる。その隙に、独自の個性と発言を差し込むEXIT。きっと今までは、帝王ダウンタウンさんの前で出来なかったはずの隙の故だろう。
そのEXITが放った、伝わりづらかったり通じなかったりする未完成な塊を、千鳥さんが形を整えて視聴者や現場スタッフに投げ返す。その予想外の展開を、ダウンタウンさんがまたさらに形を変え、笑いに昇華させてお茶の間に差し出す。
「芸人って、やっぱすげぇんだ」
僕は思った。
もちろん『ダウンタウンDX』はずっと面白い。でも芸人が余計なことを言い出した時は、もっともっと面白い。
無駄なこと、余計なことを何とか成立させようとしているそのスタジオからの、荒い鼻息と生唾を飲み込む音が僕には聞こえた。現場の生々しいまでの躍動感が、テレビから漏れ出していた。
「テレビはオワコン」なのか?
テレビはオワコンだと、もう何年も言われ続けている。確かにネットが発達し、テレビ離れが目立つようになった。そこで諦める人、辞める人、シフトチェンジする人を多く目にした。
ところがコロナ禍によって「本物」が立ち上がった。タレントも芸人もそうだし、スタッフさんもそうだ。ピンチがチャンスに変わっていく。
時間と神経をすり減らしてまわってきた、9回の裏。これは逆転満塁のチャンスなのかもしれない。あとは来た球を打てばいい。
目を瞑り、思いっきり振る。逆転満塁バラエティ。
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