首相側近で法務大臣も務めた衆議院議員が、妻を参議院議員選挙に当選させるため地元に現金をばらまいていた。その数100人、計2871万円。広島県政界を発端に、自民党のいまだ変わらぬ金権政治体質があらわになった河井克行・案里夫妻による大規模買収事件。その発覚から捜査・裁判、判決確定までの約2年間をつぶさに追った地元紙・中国新聞による、文字通り「全記録」である。
号砲は2019年秋、週刊文春の報道だった。同年夏の参院選で案里事務所が法定上限の2倍の報酬を運動員に支払っていた疑惑。中国新聞は文春を引用して後追いするしかない完敗を喫する。県内の選挙や政治家をどこよりも詳しく見てきたはずの地元紙としては屈辱的だった。
だが、地域に根を張る報道機関の真骨頂はここからである。県政担当記者が、河井夫妻が自民党県議に現金を配っていた話をつかんだ。県議選の激励や当選祝い名目だというが、参院選の買収目的が疑われた。県議4人の証言を報じたスクープで反転攻勢が始まる。
地検の捜査着手はいつか。買収の対象者はどれだけいて、どこまで立件されるのか。自民党本部から案里陣営に入金された1億5000万円の原資は。そして、夫妻は逮捕されるのか――。
中央の政界や検察関係者から情報を得られる週刊誌や全国紙と競い合う記者たちの心境がこう記される。
「他社に顔面ノーガードで殴られるぐらいなら、こっちから殴り返すしかない。やるしかない」
「『政治とカネ』の問題は、いつも新聞が後れを取っている。今度こそ、地元紙の意地を見せてやろう」
地元紙の強みは、事件の現場があること、地べたに足を着けて粘り強く取材できることだ。同紙は支社総局を総動員して県内全市町の首長と地方議員ら500人以上に当たる「ローラー取材」も行っている。
夫妻が逮捕・起訴され、10カ月に及ぶ公判が始まると、3人の記者が連日法廷に張り付き、一言一句漏らさず速記を取り続けた。ノートは無数のアリがびっしり隙間なく這うように黒い文字で埋まった。全部で数十冊。手はしびれ、腱鞘炎になる者もいた。
そんな地道な作業が事件関係者たちの人間性を伝える。全面否認し、法廷で演説をぶつ「政治の子」案里。高慢なパワハラ気質の一方、県政界で孤立感を深めていた克行。取材では現金受け取りを否定したのに、起訴されないと見るや、一転して認める被買収者たち。地元議員と長く付き合い、信じたい気持ちもあった記者たちは落胆し、憤る。だが、これが日本の地方政治のリアルな姿なのだろう。
その後、検察審査会は県議ら35人を「起訴相当」とした。政権中枢の関与も、核心はまだ明らかになっていない。中国新聞による「全記録」は、この先も書き継がれてゆくだろう。
中国新聞「決別 金権政治」取材班/中国新聞報道センター社会担当の記者を中心にした取材チーム。河井夫妻大規模買収事件や金権政治の問題について、広島県内のみならず全国各地で取材し、キャンペーン報道を続けた。
まつもとはじむ/1970年生まれ。神戸新聞記者を経てフリーに。『軌道』で本田靖春賞受賞。近著に『地方メディアの逆襲』。