『絞め殺しの樹』(河﨑秋子 著)小学館

 吹いている風が違う。地面を踏みしめる足が骨から冷え、喋(しゃべ)れば歯の根まで寒い。本作はそんな北海道の根室(ねむろ)そのものが風や大地ごとうごめきだすような、歴史と家族史とフィクションが溶けこんだ“生き物”のような大河長編だ。

 産まれたからには生きていかなくてはならない――そんな自然の理(ことわり)を“野生の語り部”と評したくなる河﨑秋子は、人も獣も分け隔てしないドライな文体で描きだす。大河小説の王道ともいえる“苦難の女一代記”に正面から挑む本作の、第一部の主人公は昭和元年に根室で生まれたミサエ。実親と死に別れて新潟の遠戚に預けられたが、10歳の時に畜産業を営む吉岡家に引き取られて根室に戻ってくる。金で売られた下働きの日々は過酷だった。厳しい大婆様や孫夫婦のいびり、重労働と束縛、学校に通えるようになっても「使われ子」と蔑(さげす)まれ、あらゆる虐(いじ)めやハラスメントの嵐に吹きすさばれる。ああ希望の光を! 淡い恋とか美しい体験とかをミサエに! と読者も渇ききったところで意外な救いが訪れるが、しかしそれすらも新たな桎梏(しっこく)と悪意による取り返しのつかない悲劇の導入にすぎなかった。

 教育を受け、保健婦という職とささやかな善意に支えられてミサエはなおも人生を下りないことを決めるが、そこで“語り部”はあたかも自然の決定事項であるかのように、すぱっと一代記を断ち切ってしまう。えーそこからの人生こそ読みたいのに! ミサエと運命共同体になっている読者の多くは嘆くだろうが心配無用。第二部の主人公は、昭和39年にミサエの息子として生まれた雄介。そのみずみずしい成長物語はミサエの「使われ子」の日々と重なり、響きあい、ある事情で顔も知らない母の人生を語り直す形になる。断絶したわけではなかった。大地に根を伸ばし、寄りかかられても絞めつけられても倒れない雄介の強さは確かに母のミサエから受け継がれている。雄介はミサエの続編であり、ミサエそのものでもあった。ぼくたちも誰だって誰かの続編なのだ。そうやって降りつもる哀しみの雪の下に“人間の地層”ができていき、ミサエと雄介はどんな国や時代でもユニバーサルデザインのように置き換え可能な、神話的な人物として屹立していく。

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 歴史の礎(いしずえ)となり、時に犠牲となった人々。遠い未来からその一人一人の顔を想起するのは難しい。しかしながら卓越した作家の筆がもたらす臨場感は、顔のある男女の肖像を、大きな物語に回収されない人間の個別性をよみがえらせ、記憶させる。人間存在のよるべなさに静かな洞察を向け、死者は生者とは別の形で物語を継いでいくのだということを一掬(いっきく)の涙とともに伝えるのだ。シンプルだが力強く生きる野生の“生き物”とそっと共棲(きょうせい)するような、稀有(けう)な読書体験を約束してくれる。

かわさきあきこ/1979年、北海道別海町生まれ。2012年「東陬遺事」で北海道新聞文学賞を受賞。その後、『颶風の王』で三浦綾子文学賞、JRA賞馬事文化賞、『肉弾』で大藪春彦賞、『土に贖う』で新田次郎文学賞を受賞。ほかの作品に『鳩護』がある。
 

しんどうじゅんじょう/1977年生まれ。作家。『宝島』で山田風太郎賞、直木賞を受賞。『ものがたりの賊』『われらの世紀』ほか著書多数。

絞め殺しの樹

河崎 秋子

小学館

2021年12月1日 発売