『ヒカリ文集』(松浦理英子 著)講談社

 久しぶりに一堂に会した面々、和やかに会話を交わす彼らはただの同じサークルの元劇団員というだけではなく、同じ女性ヒカリと付き合い、ふられたという濃密な共通点があった。

 そんな彼らが今は遠くへ行ってしまった、ヒカリについて記憶を寄せ集めて書いたのがヒカリ文集だ。

 人の好意を集める天賦の才能があるヒカリは、マドンナと呼ばれるに相応しい、その名の通り発光しているほど魅力的な女性だが、次第に、その奇妙な内面が明らかになってゆく。

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 性別関係なく男性も女性も次々と付き合う人を変え、また変えて渡り歩く彼女の姿は、サークルクラッシャーのようだが、不思議ともめごとの原因にはならない。弱々しい笑顔が世渡り上手っぽくなくて、もてなすような愛情で人と接する。それは誰にでも発動する分、真の愛情とは違い、もてなしの愛情を与えられる側もうすうす気づいている。

 世の中にはサービスとホスピタリティが溢れていて、それは大概お金を払ってしか得られないけど、ヒカリは飴を撒くように周囲へふりまき、その施しを受けた者は夢中になる。運良くもらえた飴に味をしめ、もっともっとと手を伸ばしているうちに、ヒカリは逃げてまた新たな場所で飴を配り始めるわけだが、離れた距離からひょいと放り込まれるからこそ、無邪気に口を開けてキャッチしたくなる衝動が生まれるのかもしれない。本気の愛情よりも、さらっとしたもてなしの愛情の方に安らぎを感じる、ヒカリの元恋人たち。

 自分のこと好きじゃないはずなのに、こんな親切にしてくれる。そんな形で芽生えるうれしい気持ちはもしかしたらみじめかもしれないが、喜びは隠せない。仄かに灯った心の灯の貴重さも、自分だけが知っている。

 どれだけ居心地が良くても愛情関係は相互でなくてはいけない、という考えが逆に私たちの生き方を窮屈にしてるのではないだろうか。だってヒカリは魅力的だ。そしてどんなに愛し合ってると確信しても、他人の心の底の底までは分からない。

 私たちは本当の愛について考えるのに疲れた。愛っぽい癒しが欲しくて、それはインスタントで不実な欲求でもなんでもなく、風呂上がりには濡れた身体を拭くバスタオルが欲しいのと同じくらい、普通で切実な欲求。

 自分は人を愛せないと分かった上で愛情を欲するヒカリの飢えはどこから来てるんだろう。家族の愛情に飢えてというより、発端はそれだったかもしれないけど、いつしか自分が魅力的だと気づいてからは、鏡を覗きこむように他人の表情に自分を映し始めたのだと思う。だとすれば彼女にも相応な報酬は支払われたのかもしれない。真心の価値は、それを持たない彼女が一番知っていただろうから。

まつうらりえこ/1958年、愛媛県生まれ。94年『親指Pの修業時代』で女流文学賞、2008年『犬身』で読売文学賞、17年『最愛の子ども』で泉鏡花文学賞受賞。他の著書に『奇貨』など。
 

わたやりさ/1984年、京都府生まれ。2004年『蹴りたい背中』で芥川賞受賞。近著に『意識のリボン』『オーラの発表会』など。

ヒカリ文集

松浦 理英子

講談社

2022年2月23日 発売