人の価値はテストの点数では測れない
──一方で、藤田さんと歳の変わらない東大女子でも、周りが東大生ばかりで、学内で差別を感じたことがないという人もいました。
藤田 自分の見える範囲にはない、ということですよね。私もインカレサークルで参与観察をしてみて、東大男子が他大女子にお茶を注がせるとか、(練習後に行く飲食店の)ドアを開けさせるとかいうことを初めて知って、「それくらい自分でできるでしょ」とびっくりしました。
彼らは、私たち東大女子には対等であるように振る舞うし、文化祭の準備なんかでも決してお茶を注がせたりはしない。でも、自分より下だと思った相手にはさせるんだ、と東大男子の「裏の顔」を知って腹が立ちました。私たちの見えないところでずっとそういうことをしてきたんだとしたら、ちょっとださいなって思います。
──藤田さんからしたら、変わる余地があると思うからこそ、卒論で書いたわけですね。
藤田 はい。そこには私たち世代だけじゃなく、この国で連綿と続いてきた学歴社会の負の側面、自分より学歴が下の人を見下す風潮があると思います。でも、人の価値はテストの点数だけでは測れない。それなのに周囲を見下すような東大生は、視野が狭いので、変わっていくべきですよね。
藤田の話が胸に響いたのは、「東大女子お断り」で排除される東大女子だけを見て、東大男子の差別意識を問題視しているわけではないからだ。むしろ藤田は、東大女子にはさせられないお茶汲みだとかドアの開閉だとかをさせられてきた他大女子たちに思いを致していた。だから彼女は、性差別にとどまらない東大の問題として「この国で連綿と続いてきた学歴社会の負の側面」を指摘したのだ。
このインタビューの後日、こんな話を聞いた。東大の運動系インカレサークルで「バカいじり」をされる某女子大の大学院に、もっと「バカいじり」される別の女子大から進学した女性が、激しい差別を受けたそうだ。東大男子がやってきたことは、きっと学歴社会のあちこちで再生産されてきたのだろう。
だからこそ、藤田のような視野を持ち、「変わっていくべき」と声を上げられる若い人が現れたことを、心から歓迎したかった。