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〈西村京太郎 死去〉軍人だった少年が十津川警部を生むまで 「裏切られたり、騙されたりしたことも、何度もあります」

2022/03/06

source : 週刊文春 2016年06月02日号

genre : エンタメ, 読書

 3日、作家の西村京太郎さんが肝臓がんのため神奈川県湯河原町の病院で死去した。享年91。

「作家になりたい」と人事院を退職後、日銭を稼ぐ生活が続いたが、昭和38年に「歪んだ朝」でオール讀物推理小説新人賞に入選。作家・西村京太郎としてのスタートを切った。

 昭和53年に刊行した『寝台特急(ブルートレイン)殺人事件』では「十津川省三警部」を登場させ、以来「十津川警部シリーズ」でベストセラー作家の地位を不動のものに。トラベルミステリーを題材にしたヒット作を数多く生んだ。

週刊文春」のインタビューに「もうすぐ自分は死ぬと思っていた」と語っていた西村さん。戦争の記憶、そして作家としての悲喜交々を報じた当時の記事を公開する。(初出:週刊文春 2016年06月02日号 年齢・肩書き等は公開時のまま)

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5人兄弟の長男 父は菓子職人

 子どものころから列車は好きでした。目蒲線の線路の近くに住んでいたんです。敷地の真ん中に井戸がある4軒長屋でした。3畳と6畳の部屋に、お勝手と便所がついていた。小さな家です。

「十津川警部シリーズ」などの鉄道ミステリーで知られる作家の西村京太郎さんは、昭和5年、東京府荏原町の小山(現・品川区小山)で生まれた。弟2人、妹2人の5人兄弟の長男。父は菓子職人だった。

作家の西村京太郎さん ©️文藝春秋

 父はいつも家にいませんでした。よその女の人のところに行ってたんです。たまに子供と会っても、全然かまわない。3歳のころ、父と一緒に山手線に乗っていて、置き去りにされたことがあります。「ちょっと降りてタバコを買ってくる」と言うから待っていたら、発車してしまったんです。山手線は一周回って同じ駅に戻ってくるので再会できましたけど。

 母はものすごく気が強い人でした。父が帰ってこないことに激怒して、表札から名前を削ったり(笑)。おせっかいな親戚が父の居場所を教えてくれると、僕を連れて生活費を取り立てに行くんです。母が交渉しているあいだ、家の外で待たされるのがつらかった。子供のために別れないと言われるのも嫌でした。

 昭和12年、西村さんは武蔵小山の小学校に入学。副級長を務めた。運動は苦手だったが、ベーゴマとメンコは得意だった。

 町工場で機械を借りて中に鉛を入れた強いベーゴマを作り、小遣いも稼いでいました。駄菓子屋でベーゴマを買うと2銭ですが、僕は1銭にしたからよく売れたんです。

 本も好きでした。家のそばに古本屋さんがあって、値段が安ければ何でも買っていたんです。小島政二郎の恋愛小説や長谷川如是閑の哲学書など、大人向けの本をわけがわからないまま読んでいました。

 5年生のときに、太平洋戦争が始まったんです。日劇に招待されたことを覚えています。国が作った『ハワイ・マレー沖海戦』という映画を、級長と副級長が代表して見たんです。子供の遊びも艦隊ごっことか勇ましいものが流行るようになって嫌でした。