「五十嵐君を見ていると、綺麗な衣装を着せてもらっているなと」
――ドラマの五十嵐と同じですか?
「まったくそうです。五十嵐君を見ていると、綺麗な衣装を着せてもらっているなというのはありますね。ただ、将来役者になるんだと志を持っていても、大部屋に何年もいると、毎日行って日給もらってという生活に慣れてしまって、夢も失ってしまう人も少なくありません」
――高校卒業後は大部屋生活の傍ら、生活のために地元の不動産会社に就職した。
「でも、東映のお偉いさんに『お前が仕事できるのは土日の休みの日だけだろ、それで仕出しやるのは難しいぞ』と言われて、『何かないですか?』と聞いたら、『それなら映画村のお客さんと写真を撮る扮装バイト(扮バイ)やったらあるわ』と言われたんです。僕はとにかく何かチャンスがないかとずっと思っていたので、『それでいいのでやらせて下さい』と言って、1年半くらい会社の休みの日に、五十嵐のように侍に扮したりして扮装バイトをしていました。扮バイも東映の所属俳優しかできないんですけどね」
――その後、松竹撮影所に移ります。
「映画やテレビのカメラはどこにも無いやん、チャンス転がってへんやんと思ったんです。しかも、当時、僕には妻と3人の子どもがいました。これではあかんと思って、東映の所長さんに『松竹のほうへ移りたい』と相談をしたら、『1回思う通りやってみたら』と送り出してくれた。松竹のほうが仕出しの人数が少ないんです。それで松竹の同じような大部屋に入ることになりました。
奥さんには『3年だけ時間を頂戴』と言いました。3年でダメならサラリーマンに戻ると伝え、29歳で本格的に役者の道へ進んだ。頭も眉毛も剃り、怖い顔になって、『時代劇の悪役に必ず入れてくれ』と仕出しの顔ぶれを決める人に言っていました。初めてやった役は、『〇〇から覗いている才吉』みたいな役で、一場面だけの出番でした(笑)。でも、その時の嬉しさは今でも忘れられません」