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 そしてその多くがポーランド国境近くの町ここリビウに一旦流れつくのである。列車は時に30両以上の客車を引っ張り、新幹線の倍以上の長さまで伸び、ゆっくりゆっくりホームに滑り込んでは大量の難民を降ろしていく。

駅舎の周りには難民の群衆が 撮影・宮嶋茂樹

 東部の首都キエフや南部の原発攻撃されたザポーリージャなど激戦地から逃れてきた難民やより安全なポーランドやモルドバに脱出しようとする難民、さらにそんな東部にあえて戻ってロシア軍に立ち向かおうとする若者が集まる交差点になってるのである。この中央駅が。前の大戦でいえば、「カサブランカ」のような町みたいなもんやろか? そして、その中央駅は悲鳴と怒号と嗚咽が絶えなかった。

車窓から最後に見る祖国の様子は…

 駅舎やホームですらこの人出である。列車に乗りそびれた難民は外まで溢れかえっているが、意外とパニックが見られない。それはここリビウが東部戦線より離れた一見安全な町に見えるからもあるが、多くのボランティアや支援団体が集まり、あたたかい食事や飲み物がふるまわれているからでもある。臨時トイレも駅舎外にずらり置かれているが、この数千人の群衆の割には行列もできず、この寒空のせいか、悪臭も漂ってこない。ただ暖をとるためのドラム缶焚き火の煙が目に染みるぐらいである。

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ドラム缶焚き火の煙が目に染みる 撮影・宮嶋茂樹

 難民はここリビウでとりあえず一息つけるのである。ただしそれもいつまで持つか分からない。

 空襲警報を耳にしたのも久しぶりである。しかもこれからこの街にいる間毎日聞くはめになり、そのたびに防空壕に駆け込むはめになるのである。

 この喧噪ですら、つかの間の静寂である。やがていつ帰れるかも知れぬ難民となり再び列車に詰め込まれ、さらに西へ、ポーランド、スロバキア、モルドバへ流浪の民となっていくのである。そのうちの何人が祖国に再び戻ってこれるのであろう。再び戻ってきたウクライナはすでにウクライナ人の土地でなくなっているかもしれんのである。車窓から最後に見る祖国が戦禍から逃れる同胞なのはあまりに不幸とちゃうんかい!

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