不肖・宮嶋、最後の戦場取材へ――。
数々のスクープ写真で知られる報道カメラマンの宮嶋茂樹さん(60)。これまでにイラク、北朝鮮、アフガニスタン、コソボなど海外取材を数多く経験し、あまたのスクープ写真を世に問うてきた。そんな不肖・宮嶋がロシアの軍事侵攻に揺れるウクライナへ。混乱する現地で見えてきた「戦争の真実」とは?
西部の都市リビウから医療物資を運ぶフォード社製の大型車両に同乗し、不肖・宮嶋は首都キーウ(キエフ)に到着。そして、ついに首都攻防戦の最前線となり、3月28日に奪還したイルピン市に向かうことに。
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やっとつかんだ最前線への取材ルート
やっとやっと手繰り寄せた細い細い糸である。
ロシア軍によるウクライナ侵攻後1ヵ月半近く、第3次世界大戦のきっかけになるやもしれん、いや人類、いやいや地球滅亡にむかう最後の戦いになるかもしれん、と勇んでこの地までやってきたが、カネ無し、コネ無し、足(車)無し、コーディネーターやフィクサーはおろか通訳さえ無し、しかもロシア語話せるとスパイ扱いされる恐れもあるくらいである。唯一の強みは日本人は現在ウクライナと共通の敵とかつて戦って勝ったということと、現在もその敵に領土を奪われたという共通体験からの同情を持たれることぐらいである。ただし、そのあとで「いつクリル(千島、北方領土)をとりもどすんだ?」と聞かれるのがつらいが。
そんな孤軍奮闘中の不肖・宮嶋がやっとつかんだ最前線への取材ルートである。なんとかこの千載一遇のチャンスをのがすまいと、携帯電話のダイヤルをプッシュしつづけた。
それはエストニアの国番号から始まる電話番号であった。さらに二人がその間にはいった。そして、キーウ市内の住所と合言葉を伝えられた。
政府機関のビル内に、完全武装の民兵らしき中年が2人
その住所は首都のまさにど真ん中、宿から15分ほどの官庁街だった。
イルピン市長の記者会見を切り上げ、その場所へ向かった。青と黄色のウクライナ国旗カラーに盾の紋章、もろ政府機関を表すでっかい旗が掲げられたビルで、政府機関のビルである証拠に窓には土嚢が積み上げられていた。
約束の時間を5分過ぎ、ビル前でどこが入り口か分からず、ウロウロしてたら、通りにでていた地元の若い衆らしき3人連れからいきなし握手を求められた。
「デニスだ」「ステファンだ」「イヴァンだ」
「セルゲイから紹介された日本人だ。」
と合言葉を告げた。すると、彼らは「とりあえず中へ」とワシをビルの中へ案内してくれた。
1階室内にも土嚢がつみあがり、2階への踊り場にはこれまた土嚢が積みあがった向こうに完全武装の民兵らしき中年が2人陣取っていた。速足で2階にかけあがったとこが事務所らしかった。