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 最前線へのルートというからPMC(民間軍事会社)か傭兵事務所を想像していたが、意外とどこか見慣れた感じであった。いや軍事というかカメラやパソコンが並ぶスタジオや編集室を思わせる、ワシらと同じ環境の事務所に見えた。

イルピン取材ができるのであれば、なんぼでも協力する

 その後、彼らに自己紹介され、やっと納得できた。ここは地元の映像ジャーナリストたちの事務所で、デニスはプロデューサーというか監督、ステファンはカメラマン、イヴァンはエンジニアだった。右足をひきずっているのは、今回の侵略戦で身の近くで爆発があった際に破片が刺さったせいであるという。

 彼らはドローン撮影も得意としており、ボランティアでウクライナ政府の仕事にも関わっているため、政府機関のビルに事務所をかまえているとのことであった。

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メディアはいつでもどこでも防弾チョッキと鉄パチを離さない。しかしこれからはガスマスクも必要かもしれん 撮影・宮嶋茂樹

 ほれで、何のメリットがあってこんな単身の日本人カメラマンと知り合い、声をかけたかというと、もちろんワシがイルピンへのルートを探していたということもあるが、遠い東洋の島国からきた老カメラマンが、このウクライナ興廃の一戦をどう取材するんか密着したいというのである。まあ、そんな番組をウクライナ人が興味持つとはとても思えんが、ほれでイルピン取材ができるんならなんぼでも協力させてもらうわ。どうせ日本で見られんし。

 ということで交渉はあっという間に成立した。

ウクライナ軍の威勢のいい将軍がメディアの会見に応じる 撮影・宮嶋茂樹

ロシア軍は徐々にあとずさりを始め首都の周りから撤退しはじめた

 首都を敵に包囲されつつも、いまだ電気、水道、ガス、通信とインフラがバリバリに生きている350万大都市キーウの人口が今や200万になった。首都に残っているのは愛する家族を安全な西部や国外に逃がし、この世に何の未練もなく戦うとハラをくくった国民である。あるものは軍人として銃を取り、ある女性たちは基地内での事務や雑用を引き受け、銃後の戦いに備えている。そして毎日頭上から降り注ぐミサイルや砲弾をよけ、敵の執拗な攻撃をしのぎながら、1ヵ月、戦い続けたのである。

 そして、ロシアもやっと気づき始めたのであろう。いくら大軍を遣わしびびらせても、どれほど雨あられと爆弾を降らせても、ウクライナ人はいっかなひるむ気配もないと。そしてロシア軍は徐々にあとずさりを始め、首都の周りから撤退しはじめたのである。

 3月28日には首都攻防戦の最前線となっていたイルピン市を奪還。そしてキーウ市内で開かれた記者会見でイルピン市長はわれわれのカメラの前で高らかに「イルピン解放」を宣言したのである。しかしそのあとでこう付け加えるのを忘れなかった。