想像もしたくない、救急箱の中身
赤十字が描かれてるのですぐわかったが、自衛隊員が演習中ベルトに付けてるのよりはるかに大きい。ほとんどメディック(衛生兵)が肩から担いでるやつである。せいぜいバンドエイドとマキロンと包帯と正露丸くらいかと思うてたが、いったい何が入ってるのか?
「薬の質問はあるか?」
中にはなんや使い切りの注射器みたいのまで入っている。
「モルフィン(モルヒネ)うったことは?」
「……」
想像もしたくない。
20時過ぎに、この日イルピンから帰ってきた事務所の同僚からあらたな情報を入手、翌朝9時にここの事務所で集合でとりあえず、解散となり、ホテルに急いだ。
外出禁止令が始まる21時まで30分。20時過ぎるとタクシーも帰宅するため、絶対つかまらない。歩いて帰るしかない。
これが終わったら2度と紛争地なんかに足を運ぶまい
このままばっくれようかと何度も頭をよぎる。ここに来たことを後悔し始めていた。夜間外出禁止が始まる直前である。首都の中心部というのに目につくのは軍服や迷彩服に身を固めた集団ばかり、目抜き通りのタルサシェフチェンコ通りにはネコの子一匹いない。チェックポイントの検問も外出禁止令時間が近いので、すぐ解放された。
宿に帰り着いてそのまま部屋へ帰らず、3階の食堂に向かった。8時半までの夕食時間だが、まだ片付けられていなかった。ありがたい……とも思えなかった。第一食欲がない。それに、ここ3週間毎日毎食ここでおんなじメニューや。レタスとビーツのサラダにマヨネーズとオリーブオイルかけ、チキンにヴァレニキ(ウクライナ風水餃子の水無し)、フライドポテト時々マシュポテト、パスタ時々焼きめしもどき、めったにでないが白身魚のフライなどが食い放題、水とジュースが飲み放題。これで300フリブナ(約1200円)である。
しかしここに来るまではこんな温かい食事がとれることなんか想像もしてなかった。ここキーウは2月末以来侵略軍に周囲を包囲されつつある首都やったのである。日本を発つときはビタミンB不足で日露戦争中の203高地のトーチカに陣取ったロシア兵みたいに脚気になるんか、と心配でポポンSを大量に買い込んできたくらいである。同じウクライナ国内のリビウでもパンとチーズ、サラミを大量に買い込んできたのである。
しかし、部屋に戻ってもやることはない。リビウで大量に買い占めたウィスキーボンボンに手を出してみる。こんなもんで酔えたら世話はない。ゼレンスキー現大統領の先代のポロシェンコ元大統領が大統領とオーナーを兼任していたチョコレート会社のブランドROSHENのボンボンである。
まんじりともせず時が過ぎる。そもそもここに来たのがまちがいやった。これが終わったらニ度と紛争地なんかに足を運ぶまい。今後の写真家人生は故郷の明石にかえり、四季折々の花でも撮って、夜は趣味のプラモデルでも作って過ごそう。
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