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本当に“気づいていなかった”息子の犯行

 それまでの捜査で、Aの母に過保護な一面があることは分かっていた。度重なる息子の非行にも、厳しく息子を指導するといった形跡が見られず、むしろAに不利な対応があった場合には、学校側に強い主張をするなど、息子を信じ切っている部分があった。

 淳君が行方不明になった後、Aの母は捜索活動に参加している。被害者遺族は後に「それまでAの犯行に気づかなかったことなど信じがたい」と述べているが、善悪は別としてAの母は本当に息子の犯行に気づいていなかった。

 母親しか家にいないときに踏み込めば、息子に容疑をかけられていることを知った母が感情的になって任意同行がうまくいかない可能性が想定された。

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 サラリーマンであったAの父が確実に自宅にいるとなると、週末、土曜日か日曜日である。

当時の少年Aの自宅。多くのマスコミが家の前に

 検討の結果、6月28日土曜日、まだ外出する前の早朝に自宅を訪ねることにした。この「計画」を知るのは幹部15名ほどで、警察庁の松尾好将捜査一課長にもⅩデーは事前連絡しなかった。

 ちょうど、季節外れの台風が上陸するのではないかとの予測があり、心の休まる時はなかった。

 うまく任意同行できるか。そしてAが素直に犯行を自供するか。もし逮捕となれば、少年犯罪だけに強力な弁護団が結成される可能性が高い。警察として万全に対応できるか……。

「決行」前日、金曜日深夜になって公舎に戻ると、まだ記者たちが私を待ち構えていた。

「ご苦労様です。台風、気をつけてくださいよ」

 私はいつもと同じ調子で声をかけた。あと数時間で事件は大きく動くことになるが、幸い、記者たちの様子はいつもと変わらなかった。その夜は、ほとんど眠ることができなかった。

捜査を担当した兵庫県警須磨署には多くの野次馬が

極秘に進められた早朝の任意同行

 この日午前7時、ベテランの刑事2人がAの自宅を訪ね、父親が応対。無事須磨署に任意同行できたとの連絡が入った。

 まだ、メディアには気づかれていない。土曜日であったが、私は午前9時に家を出た。取り囲む記者に質問された。

「課長、これからどちらへ?」

「このまま須磨に行きますわ」

 すでにAは気づかれないように須磨署に入っており、Aの母親は、別の刑事とともに垂水署へと向かった。さらに、自宅に残ったAの父には第3のチームが自宅で話を聞いた。後で分かったことだが、両親ともに、Aが淳君殺害の実行犯であるとは微塵も思っていなかった。