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Aの作文に多用された「著作物からの引用」らしきフレーズ

 大多数の人たちは魔物を、心の中と同じように外見も怪物的だと思いがちであるが、事実は全くそれに反している。通常、現実の魔物は、本当に普通な“彼”の兄弟や両親たち以上に普通に見えるし、実際、そのように振る舞う。彼は徳そのものが持っている内容以上の徳を持っているかの如く人に思わせてしまう…ちょうど、蝋で作ったバラのつぼみやプラスチックでできた桃の方が、実物は不完全な形であったのに、俺たちの目にはより完璧に見え、バラのつぼみや桃はこういう風でなければならないと俺たちが思い込んでしまうように。

 

 今まで生きてきた中で、“敵”とはほぼ当たり前の存在のように思える。良き敵、悪い敵、愉快な敵、不愉快な敵、破滅させられそうになった敵。しかし、最近、このような敵はどれもとるに足りぬちっぽけな存在であることに気づいた。そして一つの「答え」が俺の脳裏を駆け巡った。

 

「人生において、最大の敵とは自分自身なのである。」

 

 魔物(自分)と闘う者は、その過程で自分自身も魔物になることがないよう、気をつけねばならない。深淵をのぞき込むとき、その深淵もこちらを見つめているのである。

 

「人の世の旅路の半ば、ふと気がつくと、俺は真っ直ぐな道を見失い、暗い森に迷い込んでいた。」

殺害現場となった当時の「タンク山」の様子

 この作文には、著作物からの引用と見られるフレーズが含まれる。

<人の世の旅路の半ば、ふと気がつくと、私は真っすぐな道を見失い、暗い森に迷い込んでいた>(『神曲』ダンテ)

 最後の「暗い森」の部分は、ダンテの著作の影響を受けていることが推察された。

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 科捜研による筆跡鑑定の結果、作文と「挑戦文」「声明文」には類似性はあるが同一人物であると断定することはできないという結果が出た。しかし、捜査本部意見は「特徴ある文字については酷似している」と結論付けられ、Aの犯行を否定する材料にはならないと判断された。

 6月中旬以降、捜査本部はいつ、少年を任意同行するかというタイミングを見計らっていた。その条件は、父親とAが自宅にいる時間帯を選ぶというものだった。