江崎社長の供述を裏付ける証拠は…?
倉庫は1981(昭和56)年12月に建てられたものだったが、その後ほとんど人の出入りはなく、指紋が採取できれば有力な証拠になると考えられたが、犯人グループが社長に渡した衣類やその包装袋、缶ジュースなどが発見されたものの、残念ながら犯人を特定する決定的な物証は発見できなかった。
犯人グループは20日、江崎社長に食料や下着類を渡した際、ロープをゆるめたままその場を去ったが、「娘を誘拐している」と聞かされていた江崎社長は、倉庫の扉にカギがかかっていなかったにもかかわらず、その場からしばらく身動きできずにいた。しかし21日になって、意を決して倉庫を脱出したという流れである。
江崎社長の供述を裏付ける証拠となったのが、倉庫内に残されていた便だった。汚い話になり恐縮だが、滞在時間から逆算し、想定される便が残されているか。それを確認して、江崎社長が本当にこの倉庫に滞在していたかの裏付けを取ったのである。
江崎社長が救出された翌日の3月22日、水防倉庫の現場検証を終えた私は夕方、捜査本部のある西宮署に戻った。
「グリ森」の裏で別の事件も迷宮入りに…
「これから整理やな……」
そう思っていた矢先、別の事件が発生する。同日午後6時20分ごろ、神戸市垂水区神陵台の県営住宅で、77歳の老女が殺害されているのを勤務先から帰宅した長女(42歳)が発見し、110番通報した。
休む間もなく現場に駆けつけたが、現場の状況から強盗殺人事件と断定され、即日垂水署に捜査本部が設置された。何の罪もない老女が惨殺された現場を目の当たりにしたとき、言いようのない憤りを感じたが、当時の鑑識課長は申し訳なさそうに私にこう言った。
「すまんが君はグリコを進めてくれ」
慢性的な人手不足のなか、すべてに手が回らないのは致し方ないことだった。私は検証係長に後を任せ現場を離れたが、この事件は結果的に迷宮入りしている。思い出すと、いまでも心が痛む事件である。
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