現在生き残っているバッティングセンターの多くが、比較的打撃練習場に近いスタンスを取っている。90年代半ばにイチローが示してくれた指針の下で、バッティングセンターは生存の道を模索していったのかもしれない。イチローの登場はプロ野球界だけではなく、バッティングセンターにとっても大きなターニングポイントとなったのだった。
最後に個人的な話で恐縮だが、筆者は1985年生まれで、この一連の流れは宮崎県宮崎市に住む小学生の身ながら、リアルタイムで経験している。
野球をやっていた自分もJリーグブームに乗っかって、Jリーガー達が身につけていたミサンガを同級生達と一緒に腕や脚に巻き始めたのが93年。この年に両親からもらったクリスマスプレゼントは、当時の人気クラブだったヴェルディ川崎のビデオだったと記憶している。家族総出で眠気を堪えながら「ドーハの悲劇」を観ていた記憶もある。そして94年、クラスメイト達がミサンガを身につけながらも、同時にイチローの下敷きや筆箱を使い始めた。ネット通販なんて無かった時代だが、九州の片田舎でもそんなものが販売されているくらい、Jリーグもイチローも凄まじい人気だったのである。
そしてこの年の秋、クラスメイト達がミサンガを身につけながらも、同時にイチローの下敷きや筆箱を使い始めた。ネット通販なんて無かった時代だが、九州の片田舎でもそんなものが販売されているくらい、Jリーグもイチローも凄まじい人気だったのである。
ストラックアウトの登場
イチローの登場に日本中が沸いた90年代半ば、バッティングセンター業界にもう1つ大きな変化が起きていた。ストラックアウトの登場である。
ストラックアウトとは、TBS系列のテレビ番組「筋肉番付」で開発された、野球のピッチングをベースにしたゲームのこと。ストライクゾーン程度の大きさの正方形の枠内に、1~9の番号が書かれた的が設置されており、12球以内にその的を全て当てれば勝利、というルールである。
極めてシンプルかつ、誰にでもチャレンジが可能ため、番組開始の95年7月から筋肉番付の中心企画として毎週プロアマ問わず様々な人物がこの企画に挑戦していた。
プロ野球選手や女子ソフトボール選手が挑むこともあれば、一般応募の小学生や野球好きの芸能人が挑むこともあり。視聴者としては、著名人と同じルールで楽しめたことも人気の大きな要因になっていたと思う。
ちなみに番組内で9枚抜きに成功したのは、球界を代表する名投手であった工藤公康(当時は福岡ダイエーホークスの所属)を始め、ごく僅か。誰でも挑戦出来るが、それだけクリアすることが難しいゲームだった。
このストラックアウト、実は「筋肉番付」ではなく、元々は他の番組のために企画されていたゲームであった。その経緯を知るのが、放送作家の伊藤滋之。1987年より古館プロジェクトに所属し、スポーツ番組を中心に放送作家として数多くの番組に参加し、「筋肉番付」にも立ち上げから関わっていた。