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「“あれいいのかな?”って話はしてたんですよ、でも…」バッティングセンター離れを救った伝説のゲーム「ストラックアウト」の誕生秘話

『日本バッティングセンター考』より #2

2022/03/24
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ストラックアウト誕生の秘話

「それを語るに、私が相応しいのかはわかりませんが…」

 そう前置きしながら、伊藤はストラックアウト誕生までの顛末を話してくれた。

「僕が古館プロジェクトに出入りするようになって、当時はスポーツ番組を手がける放送作家はそんなにはいなかったんです。だけど僕の師匠である腰山一生という放送作家が、“スポーツ番組にも放送作家がいていいだろう”と道を切り拓いてくれて。少し扉が開いた時に、僕がそこにスルリと入り込んだ感じでしたね。

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 それで放送作家の仕事をするようになって、93年の年末にTBS系列で放送された「炎のバトルシリーズ!!今夜決定!プロスポーツマンNo.1選手権」という特番に作家として読んでもらいまして。これが全ての始まりで、そこから派生して「最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦」、「筋肉番付」、「SASUKE」といった番組が生まれていきました。ストラックアウトというゲームの原型は、元々はこの特番のワンコーナーだったんですよ。

 特番のコンセプトとしては“アスリートを集めて運動会をやろう”と、50メートル走や綱引きをやってもらっていたんですけども。その中で“プロの凄さをわからせるコーナーをやろう”ということになりまして。例えば体操の池谷幸雄さんに東京タワーの階段を逆立ちで登ってもらったり、格闘家の高田延彦さんに象と綱引きしてもらったり。その中でプロ野球選手を代表して、巨人の宮本和知さんに“針の穴を通すコントロールを見せてもらおう”ということでやってもらったのが、ストラックアウトの原型となったものです。

 その時はルールが少し違っていて、射抜く的の番号だけを“2番狙いまーす”みたいに宣言してもらって、そこに当たるか?とやってもらって。実際、何球か当たったので、それで“プロは凄いね”というオチで終わったんですけどね。だから実験だったんですよ、最初は。

 ただ、その発案者が誰か?というと覚えていなくて。なんとなく会議で“こういうのどうだろう”という話が会議に中で出てきて、やってみた、というのが実情ですね」

この写真はイメージです ©iStock.com

 この特番が雛形となり、次は95年の元日放送で「最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦」と名前を変えて同じコンセプトの特番が制作されることになった。

「実は93年に放送した「選手権」は、さほど視聴率が取れたわけではないんです。ただ、ギリギリ“もう1回やってもいいか”っていうぐらいな評価だったんです。それで、93年の「選手権」は本当に東京体育館で運動会をイメージしてやっていたので、95年元日に放送した「決定戦」から、コロッセオをイメージしたセットを組んで。そこで「筋肉番付」にまで続く世界観になるんですよ。

 その特番の数字が良かったので、もうレギュラーで(「筋肉番付」を)やろう、と。それでその年の秋からゴールデンでやることが決まっていたんですけど、それのプレ版みたいな感じで、ワンクール前倒しで深夜に「筋肉番付」をやらせてもらってたんですよ。その時はまだ全国を行脚して腕立て伏せや腹筋をやるような番組だったんです」

 ストラックアウトが「筋肉番付」に登場するのは、95年10月に土曜日19時からのゴールデンタイムで放送されるようになってからのことだ。