文春オンライン

「“あれいいのかな?”って話はしてたんですよ、でも…」バッティングセンター離れを救った伝説のゲーム「ストラックアウト」の誕生秘話

『日本バッティングセンター考』より #2

2022/03/24

「ただ最初は、スタッフの間にストラックアウトをレギュラーでやろう、という発想は無かったんですよ。ゴールデンでスタートした時は、特番と同じ様にとび箱を跳んでもらったり、そういうことをやっていて。

 でも毎回やってたら飽きられるじゃないですか。最初は視聴率も良かったんですけど、すぐに低下傾向になっていったんです。それに毎回特番を作るようなものだったので制作側もしんどい。正直、番組存続の危機だったんです。そこで会議を開いた時に出たのが、“昔やったアレをゲームにしたらどうだろうか?”と、それがストラックアウトだったんです。

 95年の末にはもうそんな話をしていた記憶があります。それで、その会議の時に“あんなのあったよねえ”ってみんなで話をしていた時に僕が“ストラックアウト(仮)”ってメモに書いてたんですよ。そしたらその後も会議でみんながその名前で呼ぶもんだから、そのまんま番組でも同じ名前でやったと。だからなんとなくそのタイトルになっただけなんですけど、ストラックアウトの名付け親ですか?と聞かれたらそう名乗る様にはしてます」

ADVERTISEMENT

バッティングセンターとストラックアウトの相性

 ストラックアウトをレギュラー企画として採用したことも手伝って、「筋肉番付」の視聴率はV字回復する。

「視聴率が取れる様になったのは、2つキッカケがあったんですよ。1つはバク転50メートル走という、バク転で短距離の速さを競うという競技をやってもらったんですよ。まあ見た目が異様じゃないですか、結構体操選手の特殊能力に頼った番組だったので。ただ、それも結局、最初の時に池谷幸雄さんに逆立ちで東京タワーを登ってもらったのを見てたから、それが基にはなってるんですよ。これが思いの外(視聴率が)跳ねてくれた。

 もう1つがストラックアウトですね。これもスタートさせてみたら反応が良かったですね。色んな選手にやってもらえるし、それこそ全国を行脚して一般の人も挑戦出来るだろうし。レギュラー番組としていけるんじゃないか?とさせてくれた企画ではありましたね」

 このゲームにいち早く目をつけたのがバッティングセンター業界だった。番組の人気に便乗する形で、多くのバッティングセンターやゲームセンターがストラックアウトを導入した。キンキクレスコを始め、多くのメーカーがゲーム筐体開発に乗り出したことは書くまでもないだろう。

 今日の感覚だと、それだけ流行した遊びであればテレビ局が著作権で権利を囲って収益化しそうなものだが、そういった動きは当時ほとんど無かったという。

「TBSがどう考えていたかわからないですけど、おもちゃメーカーと組んでストラックアウトを出したくらいで、何かしらの権利を主張することは無かったと思います。

 ある種そこはフリーというか、スタッフの間でも、バッティングセンターにストラックアウトが出来たらしい、というのは話題にはなっていて。“あれいいのかな?”って話はしてたんですよ、でもスタッフも実際に遊んでみたら“よく出来てるね、いいね”で終わってたので。結果的にはそれが良かったですよね、だからあそこまで流行ったと思うんですよ」

 筋肉番付は2002年に放送が終了したが、平均最高視聴率25%越え(視聴率はビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録した“伝説の番組”としてテレビ界にその名を刻んでいる。ストラックアウトというゲームも、今でも多くのバッティングセンターにゲーム筐体が置かれ、子ども達が的を目掛けて投げ込んでいる。

「ストラックアウトというゲームが続いてくれて、定着してくれて嬉しいですね。きっと今の子どもたちにとってはジャンケンみたいなものだと思うんですよね。だって、誰が最初にジャンケンというゲームを作ったかなんて知らないじゃないですか。産まれた時から、あの的当てするやつはストラックアウトという一般名詞だったと思うんで、「筋肉番付」という番組がどうこうという話は今の子どもたちには関係がない。

 でもそれって逆に凄いことだな、って。こんなテレビが斜陽の時代だからこそ、テレビで人気になった企画が一般名詞化していったっていうのが、本当にありがたいなと思っています。

 同じルールで誰でも参加できるとしたら、誰が一番凄いのか? それは番組スタッフの中に共通してずっとあったコンセプトだと思います。だから「SASUKE」も生まれたんですよね。あれも有名人だけだと成立しないので。「筋肉番付」では、他にもサッカーやテニスで同じ様な的当ての企画もやってたんです。

 でも結局今も一般に残っているのはストラックアウトだけ、それってバッティングセンターのサイズで再現しやすかったことも一因だったと思うんですよ。サッカーやテニスだとどうしてもサイズが大きいですから。そういう意味では、バッティングセンターとストラックアウトの相性は非常に良かったのかもしれませんね」

前編を読む

日本バッティングセンター考

カルロス 矢吹

双葉社

2022年2月17日 発売

「“あれいいのかな?”って話はしてたんですよ、でも…」バッティングセンター離れを救った伝説のゲーム「ストラックアウト」の誕生秘話

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー