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「フィギュアスケートをやっていて、意味あるのかな」中野友加里(36)が明かす、バンクーバー五輪落選前の“誰にも言えなかった”葛藤

中野友加里さんインタビュー #1

2022/03/27
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――もしかして、フィギュアスケートを辞めたいと思うようなことも……。

中野 何度もありました。「辞めたいな」と思っていたのが、大学1年生くらいのときですね。当時は練習しても練習しても結果がついてこなくて……。「このままフィギュアスケートをやっていて、意味あるのかな」って考えてしまうくらい、思いつめていました。

「本気で辞めよう」と思った2008年の経験

――しかし20歳のときには、NHK杯でGPシリーズ優勝、GPファイナルでも3位に入るなど、好成績を残していますよね。

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中野 佐藤信夫コーチに師事して環境を変えたことが功を奏して、調子を持ち直したんです。そこからは、面白いくらいに自己ベストを更新していきました。

2005年にはNHK杯でGPシリーズ初優勝を果たした ©文藝春秋

――それでも、辞めたい気持ちは残ったままだったんですか?

中野 それは一度なくなりましたが、今度は逆に、自分の成績にとらわれすぎちゃったというか。「過去の自分を超えて、もっと上を目指したい」と欲が出てきてしまったんです。

 そんな気持ちを抱いたまま演技をしていたら、2008年の全日本選手権1次予選で、いままでならありえないようなミスをしちゃって……。フリーの途中から、急に足が動かなくなってしまったんです。フィギュアスケートをやっていて、それまで1度もそんな状況を経験したことがなかったので、とても焦りましたね。

 そのときは何とか最後まで滑り終えたような感じでした。そしてそのあとから、フィギュアスケートを楽しめなくなって。

――その試合が、辞めたい気持ちに拍車をかけたと。

中野 そのときは「本気で辞めよう」と思って、3日間くらいスケート靴を脱ぎました。そしたら、佐藤コーチにかなり怒られて(笑)。

 

――呼び戻された?

中野 はい。「いまフィギュアスケートを辞めたら、どれだけみんなに迷惑かけると思ってるの!」って怒鳴られましたね。

 次のグランプリシリーズのアメリカ大会まで2週間くらいしかなかったんですけど、練習を休んでしまったからコンディションを上げることができなくて。その大会は「なんとか滑り終えた」っていう感じでした。

 翌年にはバンクーバーオリンピックが控えていたのに、そのシーズンは気持ちが揺れたまま過ごしてしまいました。