2009年の全日本選手権前は「誰かにもっと相談するべきだった」
――不安な気持ちを引きずったまま迎えたのが、バンクーバーオリンピック出場を賭けた2009年の全日本選手権だったんですね。
中野 私にとってオリンピックは小さい頃からの夢だったので、絶対に行きたい場所でした。それと同時に、年齢的にも引退を視野に入れていた頃なので、「チャンスは今回しかないから、ここだけは頑張らないと」って思っていました。
だからその時期は、オリンピックというゴールだけを考えて生活していましたね。「風邪をひいたり、怪我をしたりしないようにしなきゃ」と思って、プライベートでも遊びに行かずに練習に打ち込んでいました。いま考えたら、それが良くなかったかな(笑)。
――もっと遊んでおけば良かった、と。
中野 もう少し、肩の力を抜いていたら良かったのかなって。あとは、誰かにもっと相談するべきだったかなとも思います。
――そのときの辞めたい気持ちは誰にも相談していなかった?
中野 当時は1人で抱え込んでいました。ずっとそばで私を支えてくれていた母にすら相談しなかったですね。言ったら緊張の糸が切れそうで、誰にも言えなくて……。
――ご自身の中で引退する時期は決めていたんですか。
中野 「長くても24歳までだな」というのは決めていましたね。五輪に出たい一心で毎日必死に練習していましたけど、もう身体も限界で、悲鳴を上げているのも気づいていました……。
怪我も重なって、痛み止めを飲みながら、“だましだまし”で演技している状況でした。「このまま長く続けても、今後は自分史上最高のパフォーマンスを見せられない」と思ったんです。
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結局、バンクーバーオリンピックの代表選考を兼ねた2009年12月の全日本選手権では、3回転ルッツの着氷ミスなどが響いて3位に終わった中野さん。同大会では、すでに代表入りを決めていた安藤美姫さんとともに、1位の浅田真央さん、2位の鈴木明子さんがオリンピック代表入りを果たした。
2位の鈴木明子さんと中野さんの点数差は、わずか「0.17」。あと一歩のところで代表入りを逃した中野さんは、2010年2月22日、24歳での引退を表明したのだった——。続く後編では、現役時代のライバルとの秘話や、引退後のキャリアについて話を聞いた。
写真=杉山秀樹/文藝春秋
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