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「フィギュアスケートをやっていて、意味あるのかな」中野友加里(36)が明かす、バンクーバー五輪落選前の“誰にも言えなかった”葛藤

中野友加里さんインタビュー #1

2022/03/27
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――本番に臨むのは、相当タフな精神力が必要なんですね……。

中野 そうですね。特にオリンピックはアスリートにとって、4年に1度の特別なもの。だからこそ、オリンピック代表の選手たちが抱える重圧はものすごかったと思います。

 私はオリンピックという舞台に立てなかったけど、本気で目指していた。だから選手たちの思い入れとかプレッシャーはよくわかるんです。

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現役時代の中野さん ©文藝春秋

「私も当然オリンピックに行くものだと…」

――中野さんはいつからオリンピックを目指していたのでしょうか。

中野 小学生のときからです。私は愛知県出身なんですが、アルベールビルオリンピックで銀メダルを獲った伊藤みどりさんと、同じスケート場で一緒に練習していたんです。

 伊藤みどりさんがオリンピックでメダルを獲ったから、私も当然オリンピックに行くものだと勝手に思っていて(笑)。いま考えたら本当に大変なことなんですけどね。

――オリンピックにはみんなが行くものだと(笑)。そもそもフィギュアスケートを始めたきっかけは?

中野 もともと母が、スキーのモーグルをやらせたがっていたんですけど、愛知県にスキー場がなくて断念したんです。そのとき、近くにあったスケート場で姉がフィギュアスケートを始めていて、その影響で私も3歳のときに始めました。

 

 最初は遊びみたいな感じでやってたんですけど、技がどんどんできるようになるのが楽しくなって。そこからは姉より私のほうがフィギュアスケートにのめり込んでいきましたね。

 小学校の授業が終わったら毎日スケートリンクに行って、ずっと夜まで練習して。宿題は休憩の合間時間にやって……友達と遊ぶ時間も全然ないような生活でした。でも、楽しかったのは子どもの頃まででしたね。

――成長するにつれて楽しめなくなった?

中野 そうですね。大学に入学する前あたりから、いい成績を残すことが自分にとっての“プレッシャー”になってしまって……フィギュアスケートへの楽しさが徐々に薄れていったんです。「グランプリファイナルに出なきゃいけない」とかを考えながら滑るのが、徐々にしんどくなってしまって。