みんなの前で事情を説明するのがすごく辛い
地区PTAの役員は、1年おきに、3回まわってきました。Mさんは会合や活動があるたび、車椅子に乗った真ん中の子と、たんの吸引機などの医療機器を携えて参加していましたが、「かわいそうに、連れてこなければよくない?」といったひそひそ声が耳に入ることもあったそう。家にこの子を置いて出てくることなど、できるはずもないのに。
毎年クラス役員(委員)を決めるときは、みんなの前で事情を説明してきましたが、それも「実は、すごく辛かった」と話します。
「ママ友もなく、シーンとしたなか、全員の前で言わなきゃいけなくて。しかも言ってどうなるかは、わからない。一人でも『しょうがないよね』という声があれば、役員にならなかったりしたけれど、『みんな事情があるし』『うちだって親が』などと言う人がいれば『まあ、平等にいきましょう』と、役員がまわってくる。そうなるともう『言い損』になってしまうんです(苦笑)」
上の子の中学のPTAでは、推薦委員をやることになりました。クラス役員決めの日は真ん中の子の通院と重なり出席できなかったため、担任にはあらかじめ事情を話し「委員はできない」と伝えていたのですが、担任がそれを伝え忘れたようです。数日後、役員さんから「くじびきで委員に決まりましたよ!」と電話がかかってくることに。
「やれるときにはやろう」と自分から手を挙げたものの…
電話をかけてきた役員さんにも事情を話し、自分が休めばほかの人に迷惑をかけてしまうことなどを伝えましたが、「決め直すわけにもいかないので、今年はやってもらうしかない」との返事。Mさんはやむなく委員になり、真ん中の子と、当時2歳だった3人目の子を抱えて集まりに出席し、なんとか1年の活動をまっとうしたのでした。
その後は、下の子が保育園に入り、真ん中の子の体調がやや落ち着いてきたこともあり、Mさんは上の子が通う高校のPTAで委員をやることにしました。「いままでずっと断らなきゃいけなかったことが後ろめたかったから、やれるときにはやろう」と思い、自分から手を挙げたのです。
真ん中の子が通う特別支援学校のPTAでは、副会長など本部役員を4年間やりました。ここでは保護者が大体顔見知りで、卒業後に入る事業所の情報を得るという有意義な活動(「進路」と呼ばれる)もあり、いやだなと感じることはなかったそう。校長と保護者の意見交換の場や、保護者同士の交流の場の提供なども行っており、「役員がみんな支え合う雰囲気だった」こともよかったようです。
そして一昨年、下の子が小学校に入学。再び地区PTAの役員がまわってきて、1年間は活動したものの、Mさんは「もういいかな」と考え始めます。コロナ禍で活動は少なかったのですが、基本的なルールは上の子のときと変わらないまま。これまでいろんな種類のPTAにかかわってきて、「この小学校のPTAのやり方は、やっぱりおかしい」と感じ、退会を検討するようになったのです。