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「これより先、本署の刑事が芝白金台町2丁目33の島倉儀平(36)という者が、キリスト教伝道の傍ら、盛んに聖書の販売をしているというところに目星をつけ、内偵をするとどうも怪しい点が多く、また犯罪の形跡もあるので、本年の1月28日、逮捕に向かったが、彼は早くもこれを感づいてどこかへ姿を隠した。サー、こうなると一刻も猶予がならぬから、八方に手を分けて捜査を始めたが、とんと判明せぬ。しかし、本署刑事の努力むなしからず、本年2月11日、深川不動前で刑事4人協力してようやくのことで逮捕した」

「生活はすこぶる豪奢(金をかけて派手)を極めていた」?

 実は逮捕の日時は、書かれたものによってバラバラ。日にちを明記していないものも多い。最も信頼がおける森長英三郎「史談裁判」は2月12日としており、それに従う。他の事実関係も同様。正力署長の話は男の経歴に触れていく。

「この男は山形県東置賜郡屋代村(現高畠町)大字瀧の森116番地の生まれで、大和(奈良県)にある天理教中学校の卒業生。明治36(1903)年、山梨地方裁判所で窃盗犯で懲役3月に処せられ、その翌37(1904)年10月、山形地方裁判所で懲役10月、引き続き39(1906)年10月、奈良地方裁判所で同じく懲役10月に処せられた。出獄後さらに40(1907)年3月、京都地方裁判所で懲役2年に処せられ、42(1909)年3月、出獄して同年の9月、東京に入り込み、キリスト教の伝道師となりすました。米国聖書会社から聖書を盗み出して販売。東京の某書店から2000円(同約660万円)と3000円(同約995万円)の書籍を2冊詐取した」

「(明治)45(1912)年、新宿・柏木に一戸を構え、これに1000円(同約314万円)の不動産保険をかけて放火し、大正3年5月、またも新宿・角筈の自家に放火して300円(同約99万5000円)の保険金を受領した。大正3(1914)年10月、さらに現住所に放火して1800円(同約597万円)の保険金を詐取。同所に立派な家屋を新築して、郷里に伝道した際、結婚して連れてきた勝子(26)と同棲し、生活はすこぶる豪奢(金をかけて派手)を極めていた」

遺体の身元確認前に「極重悪人」…ひどすぎる報道の“決めつけ”

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 書籍の金額がいくらなんでも高すぎるし、「伝道師」の生活が「豪奢を極めていた」とは言いすぎでは? つっこみどころ満載の記事だが、署長の話は核心に入る。