「大正2(1913)年7月、青山学院の牧師、林音吉氏の妹・貞子(16)を行儀見習いとして預かり、同年8月、貞子を強姦して疾病にかからせたので、芝区三田台町2丁目、婦人科医・吉田濤治氏の病院に入院させた。仲間の某牧師を仲に入れて林氏に示談を申し込み、ようやく内済(表ざたにしない)したが、その後間もなく、貞子は行方不明となった。ところが、大正3年10月、居所から3丁(約327メートル)ほど離れた松平ケ原の古井戸から婦人の死体が発見され、身元不明とあって、例のごとく大崎の墓地に仮埋葬した。これが貞子の死骸らしく思われるので、本月15日発掘して目下取り調べ中なるが、この死体が貞子であるとすれば、島倉が殺害したものと認定し得るのである……」
記事の通りなら、この段階ではまだ古井戸の遺体は島倉とつながりがある女性と断定されていない。それを「あらゆる罪悪をたくましゅうした極重悪人」と書く神経に驚く。当時はこの程度のことは普通だったのだろう。新聞記事、特に「3面記事」と呼ばれた事件・事故の記事はその程度のものという認識だったのかもしれない。
他紙も同様で、見出しは「兇惡無殘(残)の傳道師 屡々(しばしば)放火して保險(険)金を詐取し 少女を絞め殺して井戸に投ず」=東京日日(東日、現毎日)、「耶蘇傳道の兇惡犯人」(報知)、「基督教傳道師と偽り惡事の數(数)々」(時事新報)……。都新聞(現東京新聞)の「基督教の堕落牧師 放火詐欺強姦」が殺人を入れていない分、慎重かという程度。
被害者の名前は「貞子」「お貞」「てい」「テイ」とバラバラ。「おびき出してこれを絞め殺し、同所の古井戸に投げ込み……」(東日)と確定的に書いた新聞もある。全体として決めつけが甚だしい。
「女中」に手を出し妻といさかいに…?
実はこの事件の第一報は萬朝報だった。他紙より1日早い3月22日付朝刊に「暗(やみ)に葬られてゐ(い)たる殺人 ―神楽坂署を愚弄した大詐欺漢は 捕へ(え)られて女房絞殺を申立てた―」の見出しで記事が載っている。特ダネということになるが、こちらも中身は怪しい。
「神楽坂署に検挙された中島某(42)という(者)がある。重大犯人なので正力署長自身取り調べたが、犯罪内容で警察の威信に関する事件があるので、他へ漏れるのを恐れて秘密に進行させたのである」という書き出し。
記事によれば、前署長時代、大掛かりで巧妙な詐欺、横領事件が管内で何回もあったが、犯人を逮捕できなかった。そのうち、署に「無能な警官よ」などと警察を愚弄する手紙が繰り返し届いた。なんとか2月20日に逮捕したのが中島だった。
中島はある会社で相当な地位にあり、高輪に居を構えていたが、「女中」に手を出して妻といさかいになった。