謎の事件といわれるものはいつの時代にもある。
今回取り上げるのは1917(大正6)年、島倉儀平というキリスト教の「伝道師」が聖書を大量に盗み、複数回にわたって住居に放火して保険金を詐取。女性を暴行して性病を感染させたうえ殺害して遺体を遺棄したとされた事件。
当時話題を呼んだのは「敬虔な宗教者による悪逆非道の犯罪」とされたうえ、公判で彼が容疑を全面否認。証人として出廷した捜査員を罵倒したばかりか、裁判長にも暴言を吐いて忌避するなど、言いたい放題、やりたい放題で手こずらせたためだ。民俗学者の柳田國男や作家の菊池寛にも「したたか者」と言わせている。
さらに事件は、のちにメディアの大物となる正力松太郎が所轄署の署長だったときの手柄話として言い伝えられた。島倉は無実を訴え続け、一審死刑判決後、控訴審の進行中に獄中で自殺。女性殺害について明確な証拠はなく、当時から冤罪とする声もあった。
そんな謎の事件でなぜ死刑に追い込まれたのか。そこにはさまざまな理由があった。新聞記事を適宜現代文に直し、文章を整理。今回も差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。
「伝道師の化けの皮」
事件は1917年3月23日付で朝刊各紙に報じられた。この事件と深い関連を持つことになる読売社会面ベタ(1段見出し)の記事を見よう。
極重惡(悪)人 島倉儀平捕は(わ)る 傳(伝)道師の化(ばけ)の皮
表面はキリスト教の伝道師で世間を瞞着(まんちゃく=だます)し、殺人、放火、強姦、詐欺、窃盗と、あらゆる罪悪をたくましゅう(制約なしにやる)してついに神楽坂署の手に逮捕され、22日、東京地方裁判所検事局に送致され、乙骨検事係りにて取り調べられたうえ、直ちに東京監獄に収監された稀有の悪漢が現れた。
見出しからして大時代な表現。後は「ネタ元」の談話の引用だ。
神楽坂警察署長・正力松太郎氏は、犯人逮捕の順序及び、その犯罪のてんまつについて語る。
「大正3年から5年(1914~16年)にかけ、横浜・山下町、米国聖書会社で聖書がたびたび紛失するが、どうしてなくなるのか、さっぱり分からぬ。紛失した聖書の金高がついに8300円(現在の約2750万円)の多額に上ったが、窃盗のせいかそれとも他に原因があるのか、疑問であった。この疑問を解くべく本署では、今日まで努力を続けたのである」