田島 そうだね。声がかかるようにせっせと飾ったよ。運転手の意識もずいぶん変わったんじゃねえかな。何しろ、映画の前までは、トラック運転手なんて「そばに寄らないほうがいいよ」と言われていた雲助みたいな存在でよ。俺なんかトラック乗り始めたころは、ズボンも履かずステテコと腹巻とねじり鉢巻きだったしね。
――今はトラックからステテコで降りてくる人は見ませんね。
デコトラが社会現象に
田島 まあ、運搬業って江戸時代からイメージが悪かったんだよ。ふんどし一丁で籠に人乗せて担いで歩いたり、台車を引っ張って歩いたり。時代劇だって、駕籠屋が山中で客をかどわかしたり、脅したりするシーンって出てくるでしょ。
――そういえば(笑)。
田島 勉強できなくたって健康で免許さえあれば、誰でも運転手になれる。敷居が低いぶん、この業界には、だらしなくて悪い奴もたまには入ってくるんだ。でも「トラック野郎」の人気で、自分のデコトラも一般の人に見られて写真を撮られるようになると、乗ってる本人もそれに合わせないと恰好つかない。
だから服にも気を使うようになる。芸能人だって、見られてきれいになるよね。それと同じで、中身はまだまだの奴もいるけど、だいぶ見かけはましになったんじゃないかな。
――映画によって、イメージがアップしたんですね?
田島 トラック野郎のイメージを良くしたのもこの映画なんだけど、さらに悪くしたのもこの映画なんだよね。警察官をバカにしたり交通違反したり、そんなシーンもあったの。だから「子供に良くねえ」って、寅さんほどは、お茶の間で放送されなくてよ。それでも、主役の桃次郎が乗っていたデコトラ「一番星号」のプラモデルが子供に飛ぶように売れたり、デコチャリ(デコレーションした自転車)少年が増えて当時、社会現象になったんだ。
“伝説のデコトラ”が奇跡の復活
「トラック野郎」で故・菅原文太さんが演じる長距離トラック運転手「星桃次郎」が全10作で乗っていたのは「一番星号」という、派手な装飾や電飾で車体を飾ったデコトラだった。装飾は1作ごとに変えられたが、2作目から10作目まで同じ車体「ふそうFシリーズ」が使われていた。シリーズ終了後、売られてスクラップ同然になっていた「一番星号」は、数十年の時を経て田島さんの元へとやって来た。現在、大規模な修復を終え、全国のイベントや被災地を回っている。
――1979年に映画が終わった後、一番星号はどうなったんですか?
田島 東映がパチンコのグループ会社に一番星号を売っちゃって、パチンコ屋の駐車場に人寄せで置いといたんだ。そしたら人気のトラックなもんで、電飾とか部品をあちこち盗まれて。もう見る影がなくなって、スクラップ屋に売られてよ。
でもバラバラになる寸前に関西の人が引き取って、修理して10年くらい乗ったんだけど、古くなって野ざらしにされていた。そしたら、2014年に俺んとこに連絡がきて、「引き取ってくれねえか」って。
――2014年というと、撮影終了から35年ほど経った時ですね? 田島さんが見た時はどんな状態だったんですか?
田島 俺が行ったら、放置された一番星号の周りに竹が生えてたんだ。映画の最終回(10作目)のまんま、箱型荷台のサイドには大きな鳳凰、後ろの観音扉には「桃太郎」が描かれてるんだけど、あちこちサビたりペンキが剥がれたり、そういう状況でよ。長年、一番星号はどうなったか心配してたから、これも何かの巡りあわせだと思って。金があるわけじゃないけど、「分かった。いいよ」って。
本当ならスクラップの値段だけど、骨董と同じなんだよね。高級車が買えるくらいの値で引き取った。これはみんなの憧れや魂が乗り移った車だから、それだけの価値があるんだよ。
――長い間、野ざらしになっていたら、改修は相当、大変だったでしょうね。どのくらいの期間、かかりましたか?