田島 ほぼ改修が終わったと言えるのは、つい最近かな。引き取ってから7、8年かかったよね。初めにエンジンを直して動けるようにして、車検を通したの。もうボロボロだったから、荷台の箱絵は全部、剥がして描き直すことになったんだけど、どこのメーカーのペンキなのかも分からない。それで「トラック野郎」の元製作スタッフで、元東映美術監督だった桑名忠之さんに連絡をとったの。
――映画は1970年代ですから、美術監督の桑名さんはその時、おいくつだったんでしょうか?
田島 もう70歳になられていたけど、駆けつけてくれてよ。普通、トラックの荷台の絵は水に強い油性のペンキで描くんだけど、一番星号で使われていたのはツヤのない水性だった。業務で使うわけじゃないし、優しい風合いを出すために映画では水性を使ったんだろうね。
調べてみたら、今は製造されてないペンキでよ、全国、探し回って倉庫とかに残っているものを掻き集めた。それで桑名さん監修のもと、専門業者に描いてもらったんだ。彼がいなかったら、ここまで再現できなかっただろうよ。
改装費用は3000万円……!?
――大掛かりな改装ですね。
田島 あとはもう、トラックに使われているボルト一本から電飾ひとつまでこだわって、当時のもんを探してつけたの。だってよ、ファンが見に来て「ここのボルトがちょっと違う」なんて指摘するんだから(笑)。金、出すの俺なのにな。
探してないものはイチから作り直した。運転席の横についている真鍮のハシゴだって金型から作ったんだ。結局、改装費用が3000万円くらいかかってよ。俺の死亡保険を担保にしてるから、死んだら何にも残んねえ。もうやぶれかぶれだよ!(笑)
――修復に3000万!? 家が1軒、建つ値段ですね。
田島 ほんとだよ! ただ、トラック業界は景気も厳しくて、それまであんまり元気なかったんだけど、「あの一番星号が復活した!」って、往年のファンたちがみんな元気が出てね。
「一番星号と同じだから付けてほしい」って、天井のシャンデリアとかアンティークの部品なんかを持ってきてくれる映画のファンもいたよ。驚いたのは、お葬式で座るような金糸の入った座布団とか、袈裟を仏具屋で見つけて「これ、一番星号の内装と同じ柄じゃないか?」って連絡くれた人もいて。
――ファンはよく見ていますね(笑)。
田島 そう。この間なんて、映画の中では一番星号のフロントに小さな金具がついてたんだけど、「うちのタンスの取っ手の金具と同じ形です」と送ってきた人もいた。映画だから発想が自由でデコトラショップにない飾りが多いんだ。
デコトラを手放す人が増えている
――一番星号が復活して、またデコトラが盛り上がってきたという手ごたえは感じますか?
田島 そうね、第一次デコトラブームが「トラック野郎」の映画が始まった70年代だとすると、撮影会で盛り上がった80年代が第二次、そして、「一番星号」が復活した今は、第三次ブームと言ってもいいかもしれない。
――「トラック野郎」の70年代同様、今、運転手やデコトラに憧れる若者は増えているんでしょうか?
田島 いや、トラック運転手は昔と比べて稼げないし仕事はきついし、なり手自体は減っているよね。その分、デコトラも本当に少なくなった。「トラック野郎」の時代は、運転手もデコトラも多かったんだよ。国や会社の規制がどんどん厳しくなって、デコトラを手放す人が増えたんだ。
よくデコトラは違法トラックなんて言われるけど、そうじゃねえ。「一番星号」のように、規制前に飾ったデコトラは、そのままで大丈夫。でも新しく購入したトラックを飾るとなると、道路交通法違反になる飾りも多いから、いろいろ制限される。
ところが、その厳しい道交法を守って飾っても派手なデコトラとの取引はダメっていう会社も増えてね、だんだん仕事で使いづらくなったわけ。だから、「デコトラに乗れねえなら」って、運転手を辞めちゃった人もいるよね。
――自分の好きなトラックに乗れるのが楽しみで仕事を続けていた人は、モチベーションが下がってしまったんでしょうね。