「哥麿会」も最盛期の6分の1に
田島 そうだね。それに排ガス規制なんかで古い型のデコトラが使えなくなって、新車を買わないとならない。泣く泣くデコトラを売ってお金に変えた人も多いよね。余裕があれば趣味用と仕事用の2台持つこともできるけど、1台でも修理や車検なんかで維持費も大変だから。
うちの「哥麿会」も最盛期は3000人くらい会員がいたけれど、今は500人くらいじゃねえかな。ただ、最近だと仕事で使う大型車じゃなくて、小さい2トン車ぐらいの趣味のデコトラを持っている人も増えてるよ。
――デコトラ自体はだんだん希少になっているんですね。
田島 減っているよね。だから俺たちは今、日本の文化としてデコトラを残そうという保存運動をしているんだ。慣れないながらもYouTubeをやってみたり(笑)。そんな矢先にパラリンピックでデコトラが登場した時、「ようやくここまで来たか」って感無量でよ。デコトラを世界の人に見せても恥ずかしくねえレベルになったから、大舞台に出してもらえたんだろうって。
だからといってデコトラや運転手がすぐにでも増えるわけじゃねえけど、一番星号がメディアで取り上げられたり、DVDで映画を見たりしてデコトラを知ったファンが増えてるんだ。グッチのCMが流れた後は、外国人や家族連れが来てくれることもあったしよ。デコトラに乗っても乗らなくても、好きな者同士、イベントもボランティアも一緒に盛り上げていけたらいいよね。
「俺らにとって一番星号は神様」
――修復された一番星号は今、どのように使われていますか?
田島 「哥麿会」のチャリティーとか被災地のボランティアで全国をまわっているよ。炊き出しとか物資を運んだりするのがメインだけど、やっぱり一番、喜ぶのは子供たちだよね。大事だからってずっと飾っておいたんじゃあ、トラックの意味がないから。荷物も詰んで、走って、それで初めて価値が出るんだ。
なんだかんだ言っても、当時、デコトラの世界に入った人は、ほとんどが映画の「トラック野郎」に夢中になった人なんだよね。一番星号があったから、運転手に憧れる子供が増えて、大人も自分の仕事に誇りを持てるようになったんだから。だから俺らにとって一番星号は神様。それもただの神様じゃない、「動く神様」だよ。
――全国どこでも駆けつける神様ですね。
田島 ああ。批判もあったけど、「トラック野郎」があれだけ人気が出たのは、俺は理由があると思うんだ。この映画を作った鈴木則文監督とは、個人的に付き合いがあったんですよ。2014年に監督は亡くなったけれど、生前は「哥麿会」のチャリティーイベントにも何度も足を運んでくれた。ある時、鈴木監督はこう言っていたんだ。「世の中の困ってる人を、一番星号がどこにでも駆けつけて助ける。そんな想いを込めて映画を作っていた」って。
ただ飾りがきれいっていうだけじゃねえ、いつでも弱い者の味方なんだよ。その映画の想いやみんなの憧れが乗り移っているのがこの一番星号なんだ。だからこれからも被災地には一番星号とともに駆けつけるよ。
撮影=三宅史郎/文藝春秋
※2022/04/02 13:00……一部表現を修正しました
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