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「こんな嫌な女の役を、どうして私に?」市原悦子はなぜ『家政婦は見た!』の主演になれたのか…視聴率30%超を記録した“土ワイ”の制作秘話

『2時間ドラマ 40年の軌跡 増補版』より #1

2022/03/29

 2時間ドラマの元祖『土曜ワイド劇場』(テレビ朝日系)が始まってから、45年近くが経過した。推理もの一辺倒で“ワンパターン”と揶揄された“土ワイ”だが、過去の作品を遡ってみると、推理もの一辺倒だったわけでも、話がワンパターンだったわけでもないのだ。

 ここでは、阪南大学教授の大野茂氏が、2時間ドラマの軌跡を追った著書『2時間ドラマ 40年の軌跡 増補版』から一部を抜粋。1980年代に起きた2時間ドラマをめぐるテレビ朝日とTBSの戦いや、市原悦子主演の『家政婦は見た!』(テレビ朝日系)の舞台裏などを紹介する。(全2回の1回目/後編を読む

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異母兄弟の仁義なき戦い

 テレビ草創期に“ドラマのTBS”の謳い文句を考え出した田中亮吉が、テレ朝への移籍後に番組開発のきっかけを作った土ワイ。それに挑むTBSの初の2時間ドラマ枠。異母兄弟の仁義なき戦いの火蓋が切られた。

 まず起きたのは、企画を考える外部プロダクションの争奪戦だった。とりわけ、大映テレビをめぐって紛糾した。土ワイ2代目チーフ関口恭司には強烈な思い出がある。「突然に大映テレビの大堀昭治社長がやって来て、TBSの『ザ・サスペンス』の制作をするから土ワイから全面撤退したいって。急にそんなこと言われてもさぁ、こっちだって困るよ」。大映テレビは『ザ・ガードマン』『赤いシリーズ』『噂の刑事トミーとマツ』など数々の名作を手がけ、TBSと強固な絆があった。

「延々3時間ぐらい話して。じゃぁ、春日千春と野添和子はTBSに行かせます、柳田博美とほかの若い連中ならお貸しします、で渋々ながら手打ちしたんだ」。

 されど、残り物には福がある。その余った柳田が、土ワイ最大のヒット作を企画するとは、このときの関口には知る由もなかった。

 キャスティングでもTBSは力を見せつけた。人気絶頂の沢田研二、夏目雅子をはじめ、岩下志麻、大竹しのぶら大物が並ぶ。ストーリーにはお色気シーンも土ワイ同様に盛り込まれる。同じ推理もの、どっちがどっちの番組か分からない。

 その頃、土ワイの東西合同会議で、関口はABCの山内久司に呼び止められた。「関口ちゃん、TBSのあだ名って知ってるか?パクリのTBSって言うんだ。気ぃつけや!」と、山内がこんな助言をするのには訳があった。

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 1975年の腸捻転ネットワークの解消時に、ABCの『必殺』がテレ朝系列に移った。高視聴率の『必殺』が消えて困ったTBSは、大阪の毎日放送と東映に、必殺ソックリの時代劇『影同心』を作るよう命じたのである。しかも『必殺』でメガホンを執った深作欣二までが『影同心』の演出に加わった。深作は東映出身とはいえ、それこそ仁義にもとる。制作は毎日放送と東映だったが、実の首謀者はTBSである。山内の怒りは尋常ではなかった。ABCも制作に関わる『土曜ワイド劇場』と『ザ・サスペンス』の対決構図に、山内は同じものを感じたのだろう。

 関口の証言。「うまーくパクるんですよ、あそこは。オリジナリティーはないけれど、真似は上手いよね。TBS見てると、あ、あれパクったこれパクったってよく分かりましたよ。『平凡』を真似して『明星』ができたのと一緒よ。それから10年ぐらい経ってフジテレビの横沢彪さんに会ったら、またパクリのTBSがねって。はぁー業界では有名なんだと判った。俺だけ知らなかった。強い局をパクるのは、まだ許せる。弱い局をパクるってのは仁義にもとる。だから俺は嫌いなのよ」。

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