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「西側」としての日本の対露戦略は?

 最後に、本書が日本の対露政策に示唆することについても述べておきたい。

 ロシアは日本をまずもって「西側」の国と見ている。ロシアにおける対日感情は全般的に良好であり、安倍政権下ではプーチン大統領との個人的関係も大いにアピールされたが、領土問題や安全保障といった「ハードな」な領域においては、こうした肯定的な要因は急速に後景に退いてしまう。

 マクフォールがシリアをめぐる米露のすれ違いについて述べているように、これは「プーチンの別荘で個人の親交を深めたところで、歩み寄りが期待できる問題ではない」のである。そして、日本の安全保障が今後とも日米同盟体制を基軸とする以上 ―― つまり日本が「西側」に留まる以上、この点は所与の条件として受け入れるほかない。

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 したがって、日本の対露戦略は、政経分離を基本として進められるべきであろう。環日本海経済圏を共有する隣国として、経済や社会の交流は活発に進められるべきではあるが、それは必ずしも政治や安全保障とリンクしている必要はない ―― というよりも、それらをリンクさせて領土問題を解決しようとした点に安倍政権の対露政策の根本的な齟齬があったというのが筆者の考えである。

プーチン大統領と安倍元首相 ©JMPA

 具体的に言えば、いわゆる「8項目の経済協力」によって領土問題に関するロシアの姿勢軟化を狙った戦略がそれであり、その結末は国後と択捉に対する領土返還要求を事実上放棄するという妥協の末に、ロシアからゼロ回答を突きつけられるというものに終わった。

 他方、新型コロナウイルス危機が発生する直前、日本では若い女性を中心としてウラジオストクへの観光ブームが起き、女性ファッション誌『CanCam』がウラジオストク特集を組むに至っていた。この時期には安倍政権による対露外交の失敗が明白になり、ロシア側からは日本のミサイル防衛計画や日米同盟に対する辛辣な批判が繰り返されていたにもかかわらず、である。

 また、この間、ロシアの北極圏に位置するヤマル半島では日本が参画する液化天然ガス(LNG)プロジェクト「ヤマルLNG」が稼働を迎え、2020年7月にはここで生産されたLNGが北極圏航路を通って東京湾に送り届けられた。このように、政治的関係とは別に社会・経済的な対露関係は発展させうるのであって、両者を無理にリンクさせる必要はあるまい。

 対露関係に関してもう1つ述べるならば、ロシアが「長い2010年代」に留まる場合、対中抑止にロシアを巻き込むという考え方はまず機能しないと思われる。安倍政権の対露外交の背景には、このような地政学的発想が存在したことは広く指摘されており、安倍自身も最近のインタビューでこの点を認めている(安倍2021)。

 しかし、西側との対立を「永続戦争」と見るロシアにとって、権威主義的な政治体制を共有する中国は根本的な価値を認め合える友好国であり、両者の離間はそう容易ではない。むしろ安倍政権が対露外交を活発化させるほどにロシアの態度は高圧的になり、最終的には北方領土がロシア領であると認めることや、日本から外国の軍隊を撤退させることまで要求するようになった(谷内2020)。

 同時に、ロシアが中国との本格的な軍事同盟関係に至る蓋然性は低く、中露の軍事協力関係にはあらかじめ限界が存在することは第4章で指摘した。そうである以上、日本が自国の国益を譲歩してまで対露関係で妥協を図るべき理由は存在しない。日本が何をしてもロシアの行動を変える見込みは低く、なおかつ中露の接近に最初から限界があるならば、日本としても戦略を変更すべきであろう。

 具体的に言えば、領土問題では四島全部を交渉対象とするスタンスに回帰するとともに、この主張を国際的に広く発信する戦略的パブリック・ディプロマシーを展開すること、ウクライナ問題やロシアの権威主義体制に関して欧米と連携してより強い態度で臨むことなどである。要は「西側の一員」としての日本の立場を固め直すということだ。

 ロシアが重要な隣人であることは確かである。しかも国家は引っ越しができない。そうである以上、対露関係は今後とも日本の外交政策の中で一定の重要性を持ち続けるであろうし、ロシアの国際的な影響力もまた簡単には低下しないであろう。

 他方、日本は「西側」の一員であって、そうであるがゆえに否応なく「永続戦争」の中にあることも忘れられるべきではない。隣国であるロシアとの関係を過度に悪化させないための努力は不断に続けられるべきであるとしても、過剰な期待もまた持つべきではないということだ。本書で描き出したロシアの世界観と軍事戦略に則るならば、ロシアとの関係はこのようなプラグマティズムの上に構築されるべきではないか。

前編を読む

現代ロシアの軍事戦略 (ちくま新書)

小泉 悠

筑摩書房

2021年5月8日 発売