昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2022/04/03

突然、姉たちとは父が違うと聞かされ…複雑だった生い立ち

ーールーさんのご実家は、新宿富久町にある印刷会社を営んでいましたよね。ちょっと調べてみたら、歴史も長いし、工場も複数抱えていて、かなり大きな会社なんだなと驚きました。 

ルー なんだか、拡大していったみたいですけどね。昔は富久町だけでやっていて、他の場所に工場なんてありませんでしたよ。 

ーー創業者である母方のお祖父様は、ルーさんに会社を継いでもらおうと考えていたそうですが。 

ルー 継いでくれとは、小さい頃からずっと言われていましたね。引いてくれてたレールに乗っちゃえば、出世できたり、ビッグにはなれるだろうけど。でも、そういうのって僕は嫌いだったんですよ。

 ことあるごとに、祖父は「俺が作ってここまでにしたんだから、最終的にはお前が継いでくれ。それで潰してもいいから」って言うんだけど、かえってそれが真綿で首を絞められている感じがしちゃってね。 

 

ーーお父様はハルビン生まれとのことですが、引き揚げられたのですか。 

ルー 抑留されてました。僕はそれを親父から聞いていなくて、NHKの『ファミリーヒストリー』に出たときに調べてもらって、初めてわかったんです。満州で生まれ育ったのは知ってたけど、戦争に行ったということは知らなかったの。志願して行ったみたいなんですけど、一切言わなかったんですよ。 

 親友が戦争で死んじゃって、じゃあ俺も行かなきゃいけないと。でも、行ったら、すぐにソ連軍に捕まっちゃった。 

ーーロシア語は抑留中に覚えた? 

ルー いや、小さい頃から話せた。だから、うちの父親は重労働させられなかったみたいですけどね。通訳できたから。 

ーーでは、抑留が終わって日本に帰ってきて、お母様と出会い、ルーさんが生まれたと。 

ルー 父は初婚だけど、母は再婚になるんですよ。ただ、それも18歳になるまで知らなかったですから。 

 僕は姉がふたりいるんだけど、姉たちとは母親が一緒だけど、父親は違う。僕が高校を卒業してヨーロッパに行くことになって、実はこういった経緯があって、なんて打ち明けられたんです。

z