90年代の1度目のブレイクを経て、00年代にブログ経由で再ブレイクしたタレントのルー大柴(68)。「藪からスティック」「寝耳にウォーター」といったルー語は、いまや老若男女を問わずすっかり定着している。 

 そんな彼に、なかなか芽が出なかった下積み時代、小堺一機や関根勤との出会い、ブレイクのきっかけとなった『浅草橋ヤング洋品店』抜擢や「トゥギャザーしようぜ」誕生などについて、話を聞いた。 (全3回の2回/1回目を読む)

ルー大柴さん 

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勝新太郎に「馬鹿野郎!」と怒られたワケ

ーー付き人をやられていたのが、なかなか現在のルーさんからは想像できません。サッとタバコに火をつけたり、ササッと座布団を敷いたりされていたのですか? 

ルー大柴(以下、ルー) やった、やった。もう、言われる前にパパッと。あんまり気が利くもんだから、三橋(達也)さんに「異常サービスはやめろ」って言われたことあるけど(笑)。 

ーーサービス過剰を通り過ぎて、異常だったと。 

ルー 結局、付き人は「もういいや。十分やったな」って、2年半くらいでやめましたけど。その後に三橋さんに付いた人から「三橋さんは、ルーさんのことをすごく誇りに思ってるよ」なんて言われてね。辞めるときは、ちょっと喧嘩別れみたいなところもあったから、なおさら嬉しかったですけど。 

 それから、三橋さんのマネージャーからさち子プロって事務所を紹介されて入ったんですよ。 

ーー当時の写真が1990年に出された自伝「ルー大柴のLIFE IS ONCE」に掲載されていましたが、当時のルーさん、カッコいいですね。 

ルー 2万円出してプロのカメラマンさんに撮ってもらったの。改めて見てみると、うまい写真だなと思うけど(笑)。着ているセーターは、2番目の姉が編んでくれたやつですね。六本木では外国人向けのバーでちょっと歌ってたことがあったんだけども、そのライブに行く時に「持っていきなさい」なんて渡されましたね。

『ルー大柴のLIFE IS ONCE』より(日音)

ーーその後、24歳だった1978年、勝新太郎さんが開いた勝アカデミーの第1期生に。入学テストの時から、講師だった岸田森さんには目を掛けていただいたそうですが、勝さんから可愛がられたりとかは? 

ルー 勝さんなんて、僕がいたことすら知らなかったんじゃないかな。ルー大柴で世に出てきたときに、誰かが「あいつは勝アカデミー出身ですよ」と教えるくらいはあったと思うけど。 

 僕が売れてから、勝さんの芝居を観に行ったんですよ。で、楽屋にメロンを持っていって。そしたら「おまえ、馬鹿野郎。現金置いてけ」って怒られた(笑)。横にいた玉緒さんに「あなた、なに言ってるの。ほんとごめんなさいね、ルーちゃん」なんて謝られたけどね。