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「江頭や出川君以前の、嫌われタレントの代表格が僕でした」ルー大柴(68)が語る、それでもキャラを変えられなかったワケ

ルー大柴さんインタビュー #2

2022/04/03
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ーー勝アカデミーで小堺一機さんと出会うわけですよね。最初から意気投合はされましたか? 

ルー クラスは違ったんですけど、絞られていって最後のほうで一緒のクラスになった。小堺くんは『ぎんざNOW!』(TBS、1972年10月~1979年9月)の「しろうとコメディアン道場チャンピオン大会」で優勝したのかな。それでちょこちょこテレビに出てたんだけど、彼としてはコメディアンだけじゃなくて芝居もしたいからって勝さんのところに入ったという。 

 ほんと、ものまねがうまくて笑わせてくれましたね。あと、司会もうまかった。だから、僕の結婚式は彼が司会を務めてます。 

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モデル、アングラ劇団、会社員…長かった「迷走期」

ーー結婚は1981年、27歳のときですね。結婚後はイベント会社に勤めたり、大柴享介の芸名でアングラ劇団に参加したり、モデルをやったりと、言い方が悪いかもしれませんが迷走期といいましょうか。でも、その頃に原宿のレストランバー、ペニーレーンで小堺さんと関根勤さんがやられていたステージに誘われて参加したことが、後のブレイクに繋がるわけですが。 

ルー うーん、そうね。たしかに迷走期ではあるんじゃない。いろいろバイトやりながら、なんとか自分の道というものを見つけようっていうね。 

 だけど、すぐに子供もできたから。母親に「女房子供を泣かすな。10年やって芽が出なかったんだから、もうやめろ」と言われて、「たしかにその通りだな。ミルク代稼がないといけないな」と。それで、夢を諦めようって。自分でも、もう才能ないと思っちゃってたし。 

 

 ペニーレーンでは、小堺君、関根さんとコントみたいな芝居をしてたんですよ。最初、関根さんとは距離があったんですよ。警戒し合うみたいなね。でも、一緒に芝居をやってると、その人の本心とかわかるもんなんですよ。 

 お互い、ちょっとツーンとしてたんだけど、僕がひとりで芝居してる時に関根さんが台本で口元を隠して笑ってたんですよ。それで、僕のことを気に入ってるんだなってわかって。僕がクドくて面白かったんじゃないですかね。 

キメ顔の写真がラジオで騒がれ、転機に

ーーその後、モデルをやられていた時に撮った写真が、小堺さん、関根さんのラジオ番組『コサキンDEワァオ!』(TBSラジオ、1981年10月~2009年3月)で騒がれるんですよね。サングラスのツルを咥えていたり、ウエストポーチを下げてキメ顔している姿がネタにされたことで『コサキン』に呼ばれ、さらに関根さん主宰のカンコンキンシアターにも参加して、ルー大柴としてグワッと。 

ルー 関根さんに「ちょっと、ラジオに出てくれ。ルーのことが、すごい話題になってるんだけど」と言われたとき、僕は一度お断りしたんですよ。金魚の糞みたいに、関根さん、小堺君についていくのも嫌じゃない。でも、「じゃあ、1回だけ出るよ」と出たら火がついちゃって。で、カンコンキンの公演でさらに火が。