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「いや私、瀬戸内さんの頭なんか剃れないわ」瀬戸内寂聴、涙の剃髪…誤解を招いた“思わぬハプニング”

『老いて華やぐ』より #2

2022/04/06
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先生に「出家させていただきたくて…」

 そのとき私は、先生は私の来た目的をもう既にわかっていらっしゃるという安心感を得ました。それで「出家させていただきたくてまいりました」とご挨拶しました。

 そうすると先生は黙ってしまい、しばらくして「急ぐんだね」とおっしゃいました。それで私はオウム返しに「はい。急ぎます」と答えました。

 先生は奥様にもってこさせた予定表をご覧になって、「それでは9月の10日にしよう」とおっしゃったんです。9月の10日というと、もうほんのわずかしかありません。私は慌てて「急ぐとは申しましたけれども、もう少しご猶予を」と言いました。そうすると、先生はもう一度予定表をご覧になって「それでは11月の14日しか空いてない。それでいいか」とおっしゃいました。

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 私はそれを逃すと、もう永久に出家できないという気持ちになり「ありがとうございます。それで結構でございます」と言って手をつきました。それで私の得度の日が決まったわけです。

 私は実は急ぐとは申しましたが、来年の冬ぐらいと思っていたわけです。でもそんなことを言ってはもう間に合いません。今先生は大変お忙しい方でやっとその日を見つけていただいたので、そこでお受けしました。

 それからは瞬く間に日が過ぎました。

 出家がどういうことか、そのまま仏に自分を委ねることだ、ということぐらいしかわかっていません。

 出家したら、もしかしたら小説を書かせてもらえないかもしれないけれど、それはそのときのことだと思いました。