文春オンライン

2022/04/06

「寂聴」という名の由来

 出離者というのは「出る離れる者」と書き、出家したもののことを出離者と言います。出離者は寂なるかの「寂」というのはよく寂しいと読まれますが、そうではなくて「じゃく」と読みます。心が静かだということです。

 そして梵音を聴く。梵に音と書いて「ぼんのん」となまりますが、梵音とは何か。これは、お寺の鐘の音や木魚の音、お経の声などお寺で聴こえてくる音そのもの全部を梵音と言って良いと思います。けれども私はそのときに、もっと広い意味に感じました。

 例えば梵音という言葉を思い浮かべると、松の梢に吹く松風の音や、春の小川のサラサラと流れる音、 あるいは波の打ち寄せる音、そういうものが浮かんできます。

 それから、赤ん坊が生まれてオギャーとあげる産声や、青春の最中の若く愛し合っている男女が、君を愛してるよとか私も愛しているわなどとささやく愛の言葉とか、そういうもの全てが私は梵音ではないかと思いました。

 つまり、この社会の森羅万象のあらゆるものが奏でる、耳に心に快い言葉、それが梵音ではないかと感じたわけです。

瀬戸内寂聴さんは「寂聴」という言葉の意味を聞き、素晴らしい法名だとありがたく感じたという。 ©文藝春秋

 今先生に伺うと先生はその通りだとおっしゃいます。ますます私はありがたくなりました。出離者、出家した者は心が静かで、煩悩がおさまり、そしてその耳に心に森羅万象の奏でるあらゆる快い音を聞き取ることができる。それが寂聴だと受け取ったわけです。こんな素晴らしい法名をいただくことができ、私は出家しないうちからとてもありがたいと思いました。

 ところが困ったことに、肝心の今先生ががんを患われ、がん研に入院してしまいました。手術をなさって、とても私の得度式に先生が中尊寺まではいらっしゃれなくなったのです。