大阪万博の「太陽の塔」や「芸術は爆発だ」という名言でお馴染みの芸術家・岡本太郎。その母親である岡本かの子もまた、歌人や作家として活動していました。
ここでは、瀬戸内寂聴さんが愛や生、そして老いについて語り下ろした『老いて華やぐ』より一部を抜粋。人を愛さずにはいられなかった岡本かの子について、瀬戸内さんが語った内容を紹介します。(全2回の1回目/後編を読む)
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ユニークな女性、岡本かの子
岡本太郎さんのお母さんに、岡本かの子という人があります。この人は昭和14年の2月18日の観音様の日に亡くなりました。林芙美子さんや平林たい子さんや佐多稲子さん、そういう人たちとほぼ同世代のお人なのですが、昭和の文壇史に女流として最高峰を築いた素晴らしい小説家です。
そして小説家であるだけではなく、与謝野晶あき子の高弟として、歌人としても非常に有名でした。それからまた、岡本一平という漫画家の元祖みたいな人の立派な奥さんで、太郎さんという天才を産んだわけです。
この岡本かの子が大変ユニークな女性でした。
二子新地のお金持ちの素封家の家に生まれましたが、娘さんの頃、岡本一平に見初められまして結婚しました。岡本一平の家は京橋の近くにあり、町の書家、書道家ですね、看板の字などを書いたりご祝儀の表書を書いたりする、そういう書道家の岡本可亭という人の息子だったのでさほどお金持ちではありません。
昔の言葉で言えば、いわゆる釣り合わない縁だったのですが、それを岡本一平の情熱でもって無理やりかの子をお嫁さんにしてしまいました。