かの子は、そういう自分の愛を無条件に認めていたかというと、決してそうではありませんでした。倫理観が強かったので、人を愛さずにはいられない、執着しなければならない自分の性癖というものに非常に悩みました。自分の人一倍強い煩悩と、人一倍強い倫理観との板挟みになって、彼女は魂がズタズタになるまで、気を狂わせるまで悩み抜いたわけです。
そういうかの子の生き方を見て育った息子の岡本太郎という人は、かの子のことをどう言っているかといいますと、
「かの子は、母親としては本当に駄目な親だった。自分は小さいときからろくに洗ったものも着せてもらえなかったし、手作りのご馳走も食べさせてもらえなかったし、いつでもお邪魔者のように6回里子に出されたり寄宿舎に入れられたりしていた。そしてまた、妻としても、十分な妻ではなかったと思う。お父さんは大変にかの子のために苦労していた。けれども、大変素晴らしい芸術家、あんなユニークなかわいい女性と大変親しく付き合ったことは、自分の生涯の幸せだ」
というように、岡本太郎の独特の表現でもってお母さんの主張をしています。
情欲に流される無知な人間ではなく…
こういうかの子の愛の生活を見ますと、私どもは、一夫一婦制とか不倫とか姦通とかの言葉の持つ意味を、言葉のまま単純に受け取って人を裁断したり決めつけたりすることはできないのではないかという感じがします。
かの子が、決してただ情欲に流されるままの無知な人間ではなく、文学者としても大変優れていて、しかも仏教にも宗教にも関心の深い敬虔な仏教徒であった。その中で、なおかつかの子が一つの新しい愛の形を発見し、実践していった。こういうことを私たちはやはり素直に認めて、彼女の生き方からもたらされるものを、 考えてみる必要があるように思います。