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 かの子の表現によりますと、西洋蝋燭のように美しい男ということになっています。その西洋蝋燭さんはとうとうかの子に追いかけられて困ってしまい北海道まで転勤するのですが、かの子はなんと北海道まで追いかけて行き、とうとうその人を家に連れて帰って、一平と一緒に住みます。

 その他にももう一人、慶應大学の学生だった恒松安夫という人も、かの子の家に来ていました。最初は下宿してたんですが、やがて慶應の先生になりました。その恒松安夫もかの子を大変尊敬しまして、お姉さんお姉さんといって慕って、かの子も可愛がっていました。

 岡本家の一人息子の太郎さんは小さい時から里子に出されたり、慶應の寄宿舎に入れられたりして、ほとんど家で育っておりません。そして家にはかの子と一平の他に、恒松や堀切とか、あるいは新田亀三とかそういう男が家にいたわけです。

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岡本太郎はそんな母親をどう見ていた?

岡本太郎さん ©文藝春秋

 そんな家庭の中でかの子は夫から愛され、そしてまた2人の男性からも愛されて、非常に変わった1つの生き方をしました。一平が、かの子と恒松安夫とそれから新田亀三と、もうその時は上野の美術学校の学生になっていた岡本太郎を連れてヨーロッパに旅をしましたときに、岡本かの子は男妾を2人連れて、亭主と一緒に旅行したと世間では評判になったそうです。

 かの子の生活を見ますと、世間はとにかく不潔だとか不倫だとか、あそこの亭主はどうなってるんだとか、あの奥さんはなんて多情だとか言いがちですけれども、決してそうではないものがあるわけです。