ところが結婚しますと、男というものは、釣った魚に餌をやりません。かの子を手に入れるときの情熱はすっかり忘れてしまって、岡本一平は漫画家として成功しますと、そのお金を持って多くの取り巻きを連れ、毎日毎日遊びに行き、吉原なんぞに居続けて帰ってこなくなりました。
大事に育てられたお嬢さんだった
かの子は非常に大事に育てられ、乳母日傘で育てられた人なので、所帯を切り盛りするのが不得手でした。ご飯を炊くことも下手だし、それからまたお風呂を焚くのに、桜炭と言ってお茶に使うような炭を何本も買ってきてそれでお風呂を焚いたりする、そういう人でした。
一平は家にお金を入れないので、かの子はまだ小さな3つぐらいの太郎を抱え、電気も消され、ガスも止められ、真っ暗な家の中で食べるお米もなく、ただ寒さに震えながらじっとしていました。
質屋に通うとか、あるいは実家に帰ってお金を借りてくるとか、そういう才覚の全くつかない人でした。本当のお嬢さんだったわけです。
普通の母親ならば、「お前のお父さんはけしからん親父だよ。私たちをこんなに飢えさせて自分は毎日毎日外で美味しいもの食べてお酒を飲んで帰ってこないんだよ、憎らしいお父さんだよ」などと言うと思います。ところが、そんなときにかの子は小さい太郎に向かって、「太郎さんや、大きくなったら、パリへ行きましょうね、パリへ行って、シャンゼリゼの下でマロニエの花を仰ぎましょうね」と言ったそうです。
自分で自分を慰めて、その寂しさと貧乏と飢えに耐えていました。
そのうちにかの子はそういう生活が続いたので、強い神経衰弱にかかりました。今で言う強度のノイローゼですね。そして、とうとう精神病院に入院してしまいました。