バッシングが怖い
もちろん本が出たことを自分のことのように喜んでくれる人も多くいて、お祝いのメッセージやプレゼントもたくさんいただいた。でも、嫌なことをされるたびに「なんだかなぁ」と、もともと気にしがちな私は悪いことに目が向いてしまい、苦しくなった。
「この人も私がいなければこんな思いにならなかったのでは」と自分が存在するだけで、誰かを傷つけるのではないかと思った。そして、中途半端な自分に気づいた。
スターになるため、有名になるため、覚悟を決めて表に出ているわけでもなく、自分の思いとは裏腹に、あれよあれよというまに、今の環境にいる。その変化に戸惑いが隠せなかった。心を打ち明けられる人にこの思いを話すと、「妬かれるまでの人になったってことだよ」と言われた。
そもそも本を出す前から私はバッシングを恐れていたのだった。自分の名前、顔を世間にさらすことで自分がどうなるか。「Yahoo!ニュース」で先生と私の記事がアクセス数1位になった瞬間、一気に恐怖が襲ってきた。友人から連絡はくるし、そこから急に私の「まとめサイト」はできるし、そこに姉や妹、また出身校などの情報も勝手に書かれていた。恐ろしくなってスマホを遠くへ投げ、布団にくるまった。
バッシングが怖いなら表に出なければいい、そう何度も思った。けれども、たくさんの人に私の本を読んでもらいたい、先生のことをもっとたくさんの若い人に知ってほしいと強く思う気持ちがあった。先生と若い人との懸け橋になりたい――そんな思いの間で揺れていた。
さまざまなジャンルの職業の女性に密着する番組「セブンルール」に出演したとき、私は素直にその思いを話した。「知らない人の悪口に私が傷つく必要はない。私を傷つけられるのは私の大切な人だけ」。
私のことを知りもしない人にどんなに好き勝手言われたって、それにいちいち傷つく必要はない。どうして私はいいことを言ってくれる人のほうが圧倒的に多いのに、少数の悪い意見の人にこんなに振り回されるのだろう。そこに気持ちを持っていかれること自体、無駄ではないか。そして、その言葉に傷つく必要はないんだと思えた。
「顔がキツイから性格もキツイだろう」。そんなはがきがきたときは先生にすぐさま見せた。すると先生は、「ほっときなさい。きっとこの人ブスに決まってるから」と言ってくれた。そのとき「先生って本当に最高!!」って思えた。