2017年にメジャーリーグからNPBへ復帰後、自律神経の病気で野球に向き合うことができなくなった川﨑宗則選手。しかし彼は再び立ち上がり、40歳になったいまも現役のプロ野球選手だ。
ここでは、川﨑選手が困難に直面した時に何を考え、どう向き合ってきたのかを綴った『「あきらめる」から前に進める。』(KADOKAWA)から一部を抜粋。シカゴ・カブス時代に出会った、ジョー・マドン監督とのエピソードを紹介する。(全2回目の1回目/後編に続く)
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カブスのジョー・マドンという監督
2016年からはシカゴ・カブスにお世話になりましたが、2015年のシーズンが終わったあと、まだまだブルージェイズでやりたいという気持ちもありました。ただ同じチームに3年間在籍し、ちょっと環境を変えてみたいというのがあったのも事実です。
エージェントにも、ブルージェイズだけでなく他のチームとも交渉してみてくださいというリクエストは伝えていましたね。契約交渉に関してはすべてエージェントに任せていたので細かい事情はよく覚えていませんが、エージェントから「カブスが興味を持ってくれている」との連絡をもらったので、最後は自分の意思で決断しました。
カブスに特別な思い入れがあったわけではないです。シカゴといえばマイケル・ジョーダンがいたというイメージと、遠征の時に行っていた「シカゴ・カルビ」という美味しい焼き肉屋さんがあるくらいの認識でした。
ただ、過去4年間ア・リーグのチームにお世話になっていたのが、今度はナ・リーグのチームになれるというのが、ちょっとおもしろそうだなというのはありました。ブルージェイズでは本当に素晴らしい仲間に恵まれましたけど、また違う仲間たちと一緒にやれるんだ、新しい挑戦が待っているんだって感じでしたね。
当時のカブスは、メジャーリーグでもユニークな人として知られていたジョー(・マドン/現ロサンゼルス・エンジェルス監督)が監督だったんだけど、スプリングトレーニングからいろいろ驚かされました。ウォーミングアップも全然違いましたからね! バッシー(ティム・バス/現エンジェルス・クオリティーコントロールコーチ)っていう変わったトレーニングコーチがいて、彼のちょっとイタすぎるミーティングから始まり、ウォーミングアップ中はノリノリの音楽を大音量で流し続け、ウォーミングアップが終わった途端、ダンスコンテストが始まったり、動物を呼び込んでみんなで触れ合ったり、仮装してカラオケしたり……。カットプレーの練習だってジョーが賞金を出してタイムを競わせたり、正直最初は「こいつら大丈夫かよ? もっとちゃんと野球すればいいのに」と思っていましたね。
でも徐々に、ジョーのやり方っていうのかな、彼のすごさみたいなものを感じるようになっていったんです。監督室で行う個別ミーティングだって音楽を流しっぱなしで「カワ、どうだ?」という感じで僕の置かれた状況をしっかり説明してくれたり、メンタルトレーニングのコーチが5人そろっていて毎日いろんな話を聞かせてくれたり。ブルージェイズとは違った、カブスの野球っていうのかな……。「こういう野球もあるんだ」という感じで、とにかく楽しかったですね。ちょっと日本人的な野球っていうか、バントシフトとか細かい部分もちゃんとやっていましたね。それもまた新鮮でした。