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知られざる「二流どころの公務員」時代…ロシアのコネ社会が生んだ“怪物・プーチン”の履歴書

2022/03/31
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 ロシアのプーチン大統領がKGB(旧ソ連国家保安委員会)のスパイ出身であることはよく知られている。柔道と出合って更生したという青年は猛勉強をして名門大に進み、スパイとして東ドイツで勤務した。

 しかし、KGBスパイとして傑出した存在だったわけではなく、その実像はむしろ平凡な公務員だった。そのプーチンがソ連末期の1990年から官僚の出世階段を一気に駆け上り、わずか10年で大統領に就いた。ウクライナ侵略で非道な残虐行為を続ける怪物プーチンは、ロシア特有の「コネ社会」から生まれたといっても過言でない。

©getty

柔道とスパイ小説に熱中した10代を経てKGBへ

 プーチンはレニングラード(現サンクトペテルブルク)の裕福とはいえない工員の家庭に育った。自宅はアパート1戸を他の家族とシェアする狭い共同住宅で、プーチンはアパートの中庭で喧嘩ばかりする不良少年だった。

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 しかし、10歳を過ぎた頃にまずソ連式格闘技のサンボを始め、その後、コーチのすすめで柔道に転向した。礼儀作法も含めた柔道の世界観にプーチンは魅了されたといい、練習に打ち込んで成果を出す喜びを味わった。

学生時代、クラスメートと組み合う。目元に「面影」が ©getty

 10代のプーチンはまた、当時流行していたスパイ小説や映画に熱中し、KGBを志すことになった。「一個人の小さな力で、大軍隊にはできなかったことを為すことができる。1人の諜報員が何千人もの運命を決するのだ」。スパイという職業に魅力を感じた理由について、プーチンは後のインタビューでこう語っている。

 16歳の頃には、KGBのレニングラード支部に自ら足を運び、「どうすればKGBで働けるのか」と尋ねている。このときに応対したKGB職員から「法学部が有利だ」と聞き、猛勉強してレニングラード大法学部に進んだ。1975年の卒業後は念願かなってKGBに入った。

じつは「二流どころ」ポストだったKGB時代の“充実した私生活”

 プーチンはレニングラードとモスクワでの訓練や勤務を経て85年に東独のドレスデンに赴任した。東西冷戦中の共産陣営内、しかも地方都市であり、ポストとしては二流どころというのが一般的な評価だ。

 東独の秘密警察「シュタージ」(国家保安省)と協力し、内政の監視をする地味な職務だった。KGBでの最終的な階級は中佐であり、スパイとしての仕事ぶりは「並」だったと考えられている。