笠井さんは、プロ野球選手として5年間を過ごしてきた。華々しい活躍をした投手ではなく、現役中は苦しい時間のほうが長かったに違いない。現場を離れ、現在の仕事に従事している日々をどのように感じているのだろうか。
「選手と経理、両方とも大変ですけど、やはり質は違いますよね。野球は得意なものとしてプロにはなれましたけど、結局上手くやることが出来ませんでした。
一方で、経理に関してまだ経験が少ない状態ですが、勉強を重ねていけばいずれ出来るようになると思っています。野球はなかなか思うようにできず、なにが正解かわからないといった感覚があったので、そこは違う気がします」
異質の世界。よく“華麗なる転身”という言葉を耳にするが、笠井さんの場合は“堅実なる転身”といったところだろうか。
そもそも異色の経歴…「振り返れば、よくそんな決断をしてきたなって…」
現在経理部という意外な環境も含め、笠井さんのこれまでの野球人生を振り返ると、他の選手とは一線を画す数奇な道のりであり、いわば王道ではない異色の経歴の持ち主だといえる。
「振り返れば、よくそんな決断をしてきたなって自分でも思います」
笠井さんは自問自答するように言うと、次のようにつづけた。
「たぶん僕はやりたくないことは出来ない性格なんです。その時やりたいことを自分で選んできたんだと思います。決めたらやります」
やりたくないことは出来ない。そして、やりたいことをやりたい。極めてシンプルな思考であるが、この二極論ともいえる選択で人生を歩める人間はなかなかいない。
北海道旭川市出身、小学校3年生のときに野球を始めた。進学校として知られる北海道旭川西高校に進むと、2年生の秋から野球部のエースとなり、3年生の春にはチームを道ベスト8に導いた。
その活躍は道内で話題となり、ドラフト雑誌に名前が掲載されたり、また野球の強い大学からセレクションの案内を受けるなどしたという。笠井さんはプロ野球の世界を多少は意識したものの、結局一般入試を経て早稲田大学スポーツ科学部へ進学した。
「早稲田大学野球部」を2日で退部。一体何が…?
「スポーツ科学部を選んだ理由は、中学生のときまで、ただ打って投げる選手だったのですが、高校で先輩や顧問の先生が考えたトレーニングを取り込むことで成長や結果を得ることができ、この分野に興味を持ったんです」
明晰な頭脳を持つ笠井さんは、運動力学などのロジック、その成果に心を惹かれた。
そして笠井さんを語る上で重要な出来事が起こる。名門として名高い早大野球部に入部をするが、わずか2日で退部をしてしまう。