研究者肌ゆえの弊害か。フレキシブルに物事を考えることができずに、自分で自分を追い込んでしまった。同期の濵口や、また今永昇太といった一線級で活躍する選手と自分はどこが違うのか。今だから気づくこともある。
「活躍している選手は『こうしなきゃいけない』という感じがしないというか、どこか遊び心があるんです。試合中に『今日はこれをやってみよう』といったフラットな目線になることができる。
じつは僕も昨シーズン後半、そういった感覚に少しだけなれたのですが……。もう少し早く取り組みとして気楽に向き合うことが必要だったのかなって」
視野狭窄は爆発的な集中力を生むかもしれないが、一方で客観的に自分を捉えることができなくなる。厳しいプロの世界、笠井さんは自分の限界を知ることとなった。5年間のDeNAでのプロ生活、そこに後悔や未練はあるのだろうか。
「時間が経って『あれをやっておけば良かったんじゃないか』と考えることはありますが、後悔といった意味ではないですし、やれることを5年間やってきたので未練はありませんね」
笠井さんは昨年の12月8日の合同トライアウトを自分の卒業式と位置づけ、小学校3年生から着つづけてきたユニフォームを脱ぐことを決意した。
「経理部で仕事をしないか?」きっかけは…
まだ27歳。ゲームセットのサイレンは、新しい人生の幕開けのシグナルである。
昨年10月、DeNAから契約の更新をしない旨を聞いたその席で、笠井さんは球団関係者から「経理部で仕事をしないか?」と声を掛けられたという。なぜ現場のスタッフではなく経理部なのか。笠井さんはその背景を教えてくれた。
「じつは昨年の夏ぐらいから次になにをするのかリアルに考え始めたんです。いろいろ考えた結果、性格的に経理が自分に合いそうだなって。
元々、収支や支出の管理に興味があって、自分でも家計簿をつけるようになり、空き時間を使って簿記の勉強をしていたんです。いずれ地元に帰ったとき、専門性のある仕事ができた方が働くうえで有利かなと思いましたしね。
そんなセカンドキャリアのことを球団の人材開発グループの方と雑談程度なんですけど話したら上の方に繋いでくれたようなんです」
笠井さんは球団の意外なオファーに驚いたというが、同時にありがたさを感じたという。
「経理の仕事って、なかなか未経験者は雇ってもらえないんです。だからすごくありがたかったですね。また馴染みのある球団ですし、事業内容なども聞けば何となく想像ができることが多い。経理部長からも『ある程度勝手のわかる場所でスタートできるのはいいことだよ』と言われました。
球団の運営には、本当にたくさんの人たちが関わっています。現役の選手たちがそういったことを知る機会があってもいいんじゃないかなと思いました」