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 それまで女優業がメインだった川上にとって、コントやコメディーの現場は不安だった。

 しかし、現場に入ると、緊張していた川上以上に手を震わせていたのが、隣にいた志村さんだった。誰もが認める大ベテランが本番直前まで台本を手放さず、本番のOKが出ると自ら「震えたよ」と打ち明け、安堵の表情を浮かべたという。

 その後、深夜帯の番組は番組名の変更を経ながら、昨年の「志村でナイト」(フジテレビ系)まで25年間続いた。

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温泉や海外旅行を一緒に楽しむ遊び仲間でもあった志村さんと川上麻衣子(川上さん提供)

勘三郎、そして談志と飲んだ銀座の夜

 2001年7月には、川上が志村さんに、夢のような一夜を演出したことがあった。川上の交友関係が縁で、志村さんと18代目中村勘三郎さん(当時は中村勘九郎)が初めてお酒を酌み交わしたのだ。

「もともと、旧知の勘九郎さんから『けんちゃんに会いたい』ってお願いされていたんです。その日は志村さんと私が麻布十番で飲んでいるときに、たまたま勘九郎さんから電話があって、銀座で合流しました。その時、2人は初めて会ったんです。

 思い出すのは、勘九郎さんが『いまも舞台で震えることがある。役者なんか震えなくなったらおしまいだよ』と話すのを聞いて、志村さんが『すごく、よくわかります』と応じていたこと。『志村X』での姿を見ていましたから、とても印象的な会話でした」

 夢のような宴はそれだけでは終わらなかった。勘三郎さんの計らいで、立川談志さんがその席に駆けつけたのだ。銀座のクラブに、昭和、平成の大スターが一堂に揃った。

銀座で志村さんと飲み交わす立川談志(中央)。左端はダチョウ倶楽部の上島竜兵(川上さん提供、2001年7月)

「勘九郎さんが『志村のけんちゃんがいるよ』って談志さんに連絡したんです。すると、談志さんは銀座に来てくれた。談志さんが嬉しそうに『けんちゃんの芸、好きだよ』って話してました。志村さんは恐縮していて、何かを話すというよりは真剣に話に聞き入っていました。

 勘九郎さんが場を盛り上げて、志村さんはひたすら歌舞伎の話を興味深く聞かれていました。板の上に立って勝負する人たちならではの会話でした。お互いがみんなを認め合う、とてもいい時間でした」