2020年3月29日に新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった志村けんさん(享年70)。笑いの神様は今も皆の心の中で思い出とともに生き続けている。志村さんの知られざる私生活から笑いの哲学などの秘話を、友人で女優の川上麻衣子さんが明かした記事を再公開する。(初出:2021年3月27日 年齢、肩書は当時のまま)

「志村さんと飲んでいるうちに、『麻衣子のそういう所がダメなんだ』って怒られて、私も泣きながら『そんなこと、師匠にはわからないわよ!』って言い返して……。そんなケンカをしたこともありました。だけど、私が離婚するか悩んでいたときも相談に乗ってくれて、『しっかりしろ!』って背中を押してくれたのも志村さん。年下の私が言うのもおこがましいですが、本当に親友でした」

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 2020年3月に亡くなった志村けんさん(享年70)との思い出を、そう振り返ったのは、女優の川上麻衣子(55)だ。

岩手・三陸鉄道の非常勤駅長に就任した志村さんと案内人を務めた川上麻衣子(川上さん提供、2013年4月)

 1996年に始まったコント番組「志村X」(フジテレビ系)に出演して以来、約7年間に渡って共演。プライベートでの関係はさらに長く、飲み友達だった川上は、志村さんの素顔を知る数少ない友人の1人だった。一周忌を前に、「文春オンライン」の取材に応じた。

同じマンションに住んでいた2人

 志村さんとの出会いは1993年。川上は20代、志村さんも脂がのった40代だった。2人の縁は、川上の友人だった女優、可愛かずみさんが志村さんと友達だったこと。当時の志村さんは、自身の番組以外に出演することはほとんどなく、週4日はネタ作りをして、夜になると麻布十番へ繰り出すのが日常だった。

「あの頃は仕事が終わると、私もかずみちゃんも麻布十番に行って、志村さんに会うことが習慣になっていました。志村さんの行きつけのお店が拠点で、飲んでいて知り合いが集まってくると、『じゃあ、次の店行こうか』と2軒目に出掛ける感じでしたね」

志村けんさん ©文藝春秋

 川上が30代半ばだった90年代中ごろには、志村さんと同じマンションに暮らした時期もあった。志村さんの車で送ってもらう際に、レインボーブリッジの近くにあった新居の外観を見せたところ、志村さんが“一目惚れ”してしまったのだ。

「フジテレビに近い立地もあって、気に入ったみたいです。ただ人気物件で、不動産業者からは『もう空室はない』と聞いていた。ところが、ダメ元で私が不動産屋さんに『志村けんさんが借りたいと言っているんですが?』って相談したら、急に『あります!』って(笑)。私が22階、志村さんが18階に入居予定だったんですが、階が上がるごとに家賃が上がるから、部屋を入れ替えてもらいました」