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弱肉強食の中世で自分の土地を守るには

 そこで、開墾した土地は自分のものにしてよい、という当たり前の現実を追認する天平15(743)年「墾田永年私財法」などが出されます。そこで生まれた私有地が「荘園」と呼ばれるのですが、この自ら開いた土地を守るのも容易なことではありませんでした。

 近世を迎える前の日本は、基本的に「自力救済」の世界です。権利を守ってくれる法もなく、社会の治安を司る警察も存在しません。特に都を離れた地方では、その傾向はいっそう強まり、事実上の弱肉強食状態だったのです。

 そこで自分の土地を守るにはどうしたらいいのか。自分の土地を経営する人々を、歴史用語では「在地領主」と呼びます。この在地領主には、大きく二つの「敵」がありました。ひとつは他の在地領主、そしてもうひとつは地方の役所である「国衙(こくが)」(県庁をイメージしてください)でした。

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写真はイメージです ©iStock.com

 なんといっても弱肉強食の世界ですから、いつ自分の土地を奪い取られるかわからない。隣の荘園との境界を巡るいざこざなどは日常茶飯事です。そのとき、誰も助けてはくれません。在地領主は自ら武装し、敵を追っ払うしかありませんでした。

 やがて、在地領主同士で、「俺はお前らを襲わないから、お前らも俺を襲うなよ」という相互安全保障のようなものも結ばれるようになります。そうした安全保障のなかでも、最も効力が高いとされたのが婚姻関係でした。互いに嫁を取り一族となる。そして勢力を拡大して、他の在地領主たちへの対抗力を強めていくわけです。

 さらに厄介なのが、国衙の役人たちでした。実態は破綻したとはいえ、「公地公民」の建前は維持されています。つまり、荘園とは、あくまでも本来あるべき姿からの逸脱であって、理念上は、役所が例外的に認めている「お目こぼし」に過ぎません。だから、あるとき突然、国衙から「勝手に何をやっているんだ。土地は国のものだから、すべて没収する」と介入される可能性があったのです。