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権利を守ってくれる法もない、治安を司る警察もいない…弱肉強食の時代に“源氏”“平家”が地位を高められた“納得の理由”

『承久の乱 日本史のターニングポイント』より #3

2022/04/17

source : 文春新書

genre : エンタメ, テレビ・ラジオ, 歴史, 読書

不安定な荘園システムと「武士」の誕生

 これに対する在地領主の対応は、大きく二つ。ひとつは自ら国衙の下っ端役人(在庁官人)となること。国衙の長は国司といい、中央の上級貴族が任命されましたが、平安も後期になると、自分は任地に赴かず、京都の下級の官人を「目代」として派遣し、現地から上がりだけを送らせるようになります。その目代のもとで、現地の在地領主たちが、在庁官人となる。つまりインサイダーとなって、自分の土地を守ろうとしたわけです。

 そして、もうひとつの方法が「寄進」でした。国衙を司る国司に影響を与えられる(はずの)中央貴族や大きな寺社に、自らの土地を寄進し、保護を求めるのです。たとえば「毎年、必ず四百石を送りますから(年貢)、うるさい国司に手を引くよう言ってやってください」と契約を結ぶ。このとき寄進された貴族を「上司」、在地領主を「下司」といいます。

 ところが、この上司では力不足で、さらに地位の高い者を頼る事態が生じてきます。このとき頼られるのは、天皇家、摂関家といった貴族社会のトップか、伊勢神宮、延暦寺のような大寺社でした。こうした上位の保障者が「本家」で、彼らを頼った上司は「領家」と呼ばれます。

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 問題は、この「上司」や「本家」がいざというとき、本当に頼りになるかどうか定かではない、ということでした。実際に、ほかの勢力が自分の土地を侵略してきたとき、中央にいる上司や本家は何の役にも立ちません。都はあまりに遠いのです。そもそも国司となっても任地にも来ない貴族たちが、地方の土地争いに重い腰を上げるはずもない。

 そんな不確かな保障でも頼らざるを得ないほど、在地領主たちは過酷な状況に置かれていたともいえるでしょう。

 結局、頼りになるのは自力だけです。自ら武装し、仲間を集め、土地と一族を守るしかない。これが武士の誕生です。荘園という不安定な土地システムが、自ら武装する武士を生んだ。私はそう考えています。

 では、そこに、困ったときにすぐ駆けつけてくれ、実力行使を厭わない「上司」がいたらどうでしょうか? その上司=親分の傘下に入れば、より確実な土地の保障=安堵が得られる。より強力な集団に属せば、自分たちの土地を広げていくことも可能かもしれない。そうして、各地域で強い親分のもとに利益集団が出来上がります。そのグループの中でも実力、権威で抜きん出た存在となったのが源氏であり、平家でした。

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