“親ガチャ外れ”でも口座が持てない
こんな例もある。「未成年の親ガチャ外れの不遇」を象徴するようなケースである。
筆者が保護司になってから、特殊詐欺少年の更生と生きづらさについて保護司会会長と話していた時だ。会長は、「本人には全く罪がないにも関わらず、口座が開設できないケースがある」というのである。会長はこう続けた。
「少年の学童期に、親が子ども名義で銀行口座を開設し、その通帳を特殊詐欺グループに譲渡していたケースがそれにあたるんです。
その少年が成長し、アルバイトの口座を開設しようと銀行の窓口に行ったところ、口座開設を謝絶されてしまったのです。
そこで、少年は、知り合いの私に相談にきた。私が少年に同行して、銀行窓口に行ったところ、窓口の担当者は、『この窓口では対応できないので、本社の〇〇部署に電話し確認して欲しい』と回答したのです。
少年は、言われた部署に電話し、事情を話した上で私が少年と電話を代わり、銀行担当者と話をしました。そして、少年の口座が作られた時点では、少年は学童年齢であったこと、少年は特殊詐欺に一切関りがなかったことを伝えました」
結果、会長の助力もあり、その少年は口座を開設することができたという。しかし、この少年も、個人的に保護司会会長を知らなければ、口座開設は難しかっただろう。こうしたケースを、筆者は他にも間接的に何度も聞いたことがある。
少年法に通底する「国親思想」はどこに行った
たかが口座と思うなかれ。
現代社会では、銀行口座がなければ、携帯も契約できないし、家も借りられない。就職先もかなり制約され、日雇いの現場仕事くらいしか選択肢がなくなってしまう。
少年法の根底には、国親思想(パレンス・パトリエ)と呼ばれる考え方がある。これは、少年非行・犯罪は、親による監督や教育の不十分さが原因になっていることが多いため、要保護少年を救済するためには、社会や国家が実の親に代わって積極的に関与すべきという考え方だ。日本ではこの理念に基づき少年の更生と社会復帰を念頭に、刑罰ではなく教育に重点が置く法体系が敷かれている。
しかしながら、現実的には現代社会は一度過ちを犯したら、永遠に社会から排除されるという非情なワンストライク・アウト制に傾いているのだ。銀行口座のケースはその象徴的な例である。